心の傷はアネモネ




放課後、全ての授業が終わり鞄を片手にクラスメイト達が席を立つ。鞄の中に筆記用具を詰めても立ち上がれば、緑谷の方を見た。スマートフォンの画面をスクロールしながらノートを持って立ち上がった彼に、一緒に帰ろ、と声を掛けようとして、止まる。が声を掛ける前に、勝己が緑谷の目の前に立ったからだ。


「あっ」

「話まだ済んでねーぞ、デク」

「カツキ何ソレ?」

「“将来の為の…”マジか!?くーーー、緑谷ーーー!!」

「いっ、良いだろ返してよ!!」


あまり機嫌が良くなさそうな勝己が、緑谷の手から一冊のノートを奪い取る。其れを不思議そうに見る勝己の取り巻きに、勝己は見せる様にノートを傾けると表表紙に書かれていた“将来の為のヒーロー分析”というタイトルを目にして取り巻き達は声を上げて笑った。ノートを取り返すべく、勝己に近付いて手を伸ばした緑谷だが、勝己がそう簡単に返す筈もなく。


「あーーーー!!!!?」


ノートが爆破音と共に、赤い光と黒い煙に一瞬にして包まれ、緑谷の絶叫が響く。黒焦げになったノートを見てショックのあまり小刻みに震える緑谷を見据えながら、勝己はノートを窓の外へと投げ捨てながら言うのだ。


「一線級のトップヒーローは大抵学生時から逸話を残してる。俺はこの平凡な市立中学から初めて!唯一の!“雄英進学者”っつー箔を付けてーのさ。まー完璧主義者なわけよ」


勝己が煙を上げる手を緑谷へと伸ばせば、其の華奢な肩へと触れた。


「つーわけで一応さ、雄英受けるなナードくん」


にっこりと威圧的な笑み。煙が上がる勝己の手が恐ろしくて緑谷の体は絶えず震え続けた。何も言わない緑谷に満足したのか、手を離し、さっさと教室を出て行こうとする勝己。其の後を追う取り巻き達。取り巻き達は呆れた様に緑谷を見ていた。


「いやいや…流石に何か言い返せよ」

「言ってやんなよ、可哀想に中三になっても未だ彼は現実が見えてないのです」


酷い言葉だ。唯の暴力でしか無い。圧倒的な力を前に、力を持たない人間が立ち向かえる訳が無いというのに。の視線に気付いた勝己がを一瞥すれば、其の鋭い眼差しに喉まで来ていた言葉が詰まる。情けない。


「そんなにヒーローに就きてんなら効率良い方法があるぜ。来世は“個性”が宿ると信じて…屋上からワンチャンダイブ!!」


そして何処までも、果てしなく、勝己は酷かった。緑谷に対して、勝己は本当にキツい当たり方をする。自殺したらと促す勝己に流石に我慢ならなかった緑谷が眉間に皺を寄せ、歯を食いしばり勢い良く振り返り勝己を見る。が。


「何よ?」


掲げた拳から幾つもの小さな爆発。結局緑谷は何も言えず、唯、怒りに震えながら直立不動で、教室を出て行く勝己と其の取り巻き達を見送る事しか出来ずにいた。


「いっちゃん」

…」


勝己達の去った教室では緑谷に声を掛けた。か細い声で、やや泳いだ目で。そんなを見て、が何を思い、感じているのか察した緑谷は困った様に笑うのだ。其れが余計に罪悪感を増させるのだから、はぎゅっと拳を握るのである。


「ごめん、いつも何も言えなくて」

「ううん、大丈夫だよ。慣れてるし」


今、がどんな気持ちで居るのか緑谷は知っていた。幼馴染と言うだけあって付き合いは長いのもあるが、何より今まで緑谷とは同じ様な扱いを今迄受けてきたからだ。派手な個性で何でも出来て自信に満ち溢れた勝己と、地味な個性と無個性の所為で馬鹿にされて来たと緑谷。特に緑谷にキツく当たる勝己をは何とか止めたいとは思っているものの、勝己に抱く恐怖や嫌悪感で結局いつも何も言えない事や、そして其の結果、自己嫌悪に陥る。毎度のパターンだった。


「それに、が謝る事じゃないよ。何も悪い事してないし」


出来るだけの心が少しでも軽くなる様にと思って歯を見せて緑谷は笑った。緑谷は心底、が見ているだけで何もしなかった事を気にしてはいなかった。が勝己を怖がり嫌うのは仕方がないと思っているからである。


「じゃあ、僕ノート拾いに行かないといけないから」

「うん…」


投げ捨てられた黒焦げのノートが気になって仕方なく、緑谷はごめん、また明日、と手を振って教室を出て行った。いつの間にか教室には誰も居なくなっており、だけが取り残されている。何時もは賑やかで五月蝿過ぎる位の教室に一人取り残されたは何気無く窓に近付き、外を眺めた。


「ごめんね、いっちゃん…」


小声の呟きは誰の耳にも拾われる事無く、空気に解けた。窓硝子越しに見えたグラウンドには正門に向かって歩く勝己の姿がある。窓硝子に指を這わせれば冷たい感触。そしてするりと窓硝子を指先が擦り抜けた。



















真っ直ぐ帰るのが嫌で、本屋に寄り道してファッション雑誌を2冊購入し、其の後によく行く近くの薬局へ行った。向かったのは化粧品売り場。好きなメーカーが新作のアイシャドウが発売されており、一目惚れして購入。学校は化粧禁止なので普段は出来ないが、やはり女だからか自分を着飾る行為は好きな方だった。


「すげー!何アイツ大物じゃね!?」


いい加減、帰って布団を取り込まなければ。光己の作る食事は美味しくて好きなのだが、爆豪家に行くのは本当に気が進まない。そんな落ちた気分でいた時に聞こえてきた誰かの興奮した声。何人かが田等院商店街に向かって走って行くのが見え、其の先で黒い煙が上がっている事に気付く。敵がまた暴れているのだろう。何となく気になって、は野次馬の中に紛れて現場を覗くのだ。


「ヒーローなんで棒立ちィ?」

「中学生が捕まってんだと」


商店街の中は、正に文字通り火の海だった。凡ゆるものに火が燃え移り、黒い煙が立ち込め、ヒーロー達が慌しい。騒ぎの中心部には何やらヘドロの様な何かが暴れており、野次馬の誰かが言う、中学生らしい人物の頭が一瞬ヘドロの何かの中から見えた。


「ダメだ!これ解決出来んのは今この場にいねえぞ!!」

「誰か有利な“個性”が来るのを待つしかねえ!!」

「それまで被害を抑えよう。何!すぐに誰か来るさ!」

「あの子には悪いがもう少し耐えてもらおう!」


今此処にいるヒーローでは対処出来ないらしい。ヒーロー達が大声で交わすやり取りを聞きながらは何とも言えない複雑な気持ちになった。今現在こうして傍観するだけの自分自身も“ヒーローが何とかしてくれる”の姿勢なのだから、人のことを言える立場じゃないけれど“すぐに誰か来るから待とう”だなんて、なんて他力本願。仕方ないとしても、そんな大声で言う事じゃ無い。ましてや人々に安心を与える仕事をするヒーローが。きっと聞こえているだろうから、あの捕まった中学生にも。ヘドロの中から時折見え隠れする、金髪の。


「かっちゃん…?」


流動体らしい動きをするヘドロの中から一瞬見えた顔に身の毛がよだつ。何で、どうして、そんなありきたりな言葉が頭の中を巡って足が竦んだ。一瞬見えた勝己は今迄見た事の無い様な切羽詰まった顔をしていて、は呼吸をする事を忘れて口元を手で覆った。


「馬鹿ヤローー!!止まれ!!止まれ!!」


そんな中、響くヒーローの焦った声。何事かと周囲を見渡せばリュックサックを背負う制服を着た男子が一直線に敵に向かって駆け出していた。止めるヒーローなんて気にも留めずに駆け、咄嗟に背負っていたリュックサックを敵の目玉に投げ付け突っ込み、敵が怯んだ隙に勝己を何とか掻き出さんと、救おうと必死に手を動かすのだ。


「かっちゃん!!」

「何で!!てめェが!!」

「足が勝手に!!何でって…わかんないけど!!!」


誰にも負けない、強い幼馴染が人質に。そんな人質を助けようと飛び出した無個性の幼馴染。何の力も無い緑谷が、ヒーロー達が何も出来ない状況下で一体全体何が出来るというのだろう。答えなんて明白だ、何も無い。何も無いけれど。でも、だから何だ。何なのだ。そうだ、緑谷はそういう人間なのだ。


「君が助けを求める顔してた」


は知っていた。例え力が無くったって、誰かが救いを求めれば迷わず飛び出してしまう様な彼の本質を。なのに、自分は。


「おい!君!!駄目だ、危ない!!」

「「!!?」」


此の場に居る人間の中で、きっと唯一、有利な“個性”を持っているから。誰かが、じゃ駄目なのだ。今、自分が出来る事を。精一杯出来る事を。助けれるのだから、自分なら。


「かっちゃん!!いっちゃん!!」


ヒーロー達の制止を無視して飛び出して、目をひん剥いて振り返った幼馴染2人の顔を見て視界が霞む。


「来っ…んな!」

…!」


勝己はとても苦しそうで、緑谷の瞳にも涙が滲んでいた。縺れそうになる足を必死に前へ前へと動かしてヘドロの中に手を突っ込んだ。


「もう少しなんだから邪魔するなあ!!!」

「無駄死にだ自殺志願者かよ!!」


視界の端で敵が大きく手を振りかぶり、振り下ろしたのが見え、後方からヒーローが叫ぶ声が聞こえた。しかしは怯まない。両手でヘドロを掻き出しながら懸命に伸ばすのだ。そして、遂に捉えるのである。勝己の腕を掴んだ右手。逃がさないとばかりに強く握り、身体ごとヘドロの中へ突っ込むのだ。息が出来ず苦しい中、ずっとずっと耐えていたであろう勝己の身体を強く強く抱き締めて、ぎゅっと目を瞑った。


!!」


ヘドロの中へと飲み込まれて行くの姿に悲鳴に近い叫びを上げた緑谷の声をの耳が拾った刹那、淡い光がから放たれ、まるで引き剥がされる様に、弾かれる様してヘドロがと勝己の身体から吹き飛ぶ。が薄っすらと目を開けば勝己の肩越しに驚愕に目を見開く敵の顔が見えた。敵の身体から解放された事により伸し掛かる勝己の身体の重みに後ろから倒れそうになり傾くが、そんな背中を支える力強い腕の感触。


「!!?」

「君を諭しておいて…己が実践しないなんて!!!」


近くで聞こえた聞き覚えのある声。斜め上へと視線を向ければ、明らかに画風が違う白い歯が良く似合うトップヒーローの横顔が見えた。


「プロはいつだって命懸け!!!!!!!」


デトロイトスマッシュ、と叫んだと同時に突き出された右腕。拳を放った衝撃で起きた風圧は、凄まじ過ぎて目を開ける事すら出来ず、は強く目を瞑った。背中にあるオールマイトの腕が無ければ、簡単に吹き飛んでしまいそうな爆風が止んだ頃、背中にあった腕が離れ、は意識が無い勝己を抱えたまま其の場に尻餅をついた。そして頬に一滴の雫が落ちて来る。


「…雨?」

「まさか今の風圧で…!?上昇気流が…」

「右手一本で天気が変わっちまった!!!」

「すげえええええ!!これが…オールマイト!!!」


降り注ぐ雨の中、1人騒ぎの中心部で立ち尽くすオールマイトに向かって歓声が湧いた。其の背中を目に焼き付ける様に、ただ呆然とは見る。緑谷と勝己が憧れた人の大きな背中を。


「君!怪我はないか!?」

「彼は預かろう、そっちで君も診て貰いなさい」

「は、はい」


オールマイトの背中に釘付けになっていれば、は駆けつけて来た警官の声に我に帰るのだ。意識の無い勝己は警官の手に渡り、身軽になったは警官の指示に従って駆け付けた救急隊員に怪我の有無等を診察される。散った敵はヒーローらに回収され、警察に引き取られたらしい。の隣にはいつの間にか緑谷がおり、2人は地面に正座を余儀無くされていた。


「君達が危険を冒す必要は全く無かったんだ!!!」


緑谷とはヒーロー達に怒られ、意識を取り戻したのだろう、少し離れた所に座る勝己は逆に称賛されていた。複数のヒーローにスカウトでされているのだから、雲泥の差である。オールマイトは取材陣に囲まれており、其れ等を眺めながらは頭上から降って来るお叱りを右から左に聞き流した。








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