君は激情のヘラ




シャワーを浴びて出た後、は一人外に出ていた。別荘の裏に回った緑溢れる其処を用心深く足元を見ながら歩き回り、見つけたものは手頃なサイズの木の枝。


「んー。こんなものかな?」


強度を確認する為、枝の左右を掴んで軽く力を入れれば、僅かにしなる其れに満足して、は周りを見渡して見つけた木の陰に隠れると、拾ったばかりの枝をラケットに見立てて軽く素振りをするのだ。


「あ」


1回目、2回目、3回目と繰り返して鳴る乾いた音。折れて何処かに飛んで行った先端と、残った握ったままの根元。肩を落として溜息を吐くながら用済みとなった根元の枝を放り捨てれば、新たなラケットの代わりになりそうな枝をまた探して回り始めるのだ。


「何してるんですか?」

「ぎょわ!!?ちょ、びっくりさせないで下さいよ!」

「何かすみません。にしても凄い驚き方ですね」


突如背後から声を掛けられ、一応人目を忍んでいたは背筋をピンと伸ばし飛び上がって目が飛び出さんばかりに驚いてみせた。其れこそ口から心臓が出そうな位には驚いたし、鼓動も尋常じゃない程に大きく早い。胸を押さえながら勢い良く振り返ったを、安室は爽やかな笑みを浮かべていた。此の笑みを見ていると最早確信犯じゃないかとすら思える。


「何故枝で?」

「ラケットだと洒落にならないじゃないですか」


どうやらしっかりと見ていたらしい安室に恥ずかしさから頬をほんの少し赤く染めながらは肩を落として地面に転がる枝を見やる。耐久性のない枝とはいえ、三回振っただけで折れたのだ。ピンキリだがラケットは少なくとも一万円はするわけで、ラケット一本折る毎に諭吉さんが一枚消える。そう考えると恐ろしくて、とてもじゃないがラケットを振って練習なんて考えられる筈が無く、せめて力を制御出来るまではと、こうして誰にも見られないようにコソ練していたのだ。


「なんでこんなところに居るんですか?」

「二階の窓から丁度さんが見えたんで。様子を見に来たんですよ」

「そうだったんですか!」


安室が指差した木々の隙間から見える二階の窓を見上げながら、上から見られていた事が恥ずかしくては誤魔化す様に頭を掻きながら笑うのだ。安室にはしっかりとの滑稽な行動が見えていたのだろうから。そして目と目が合って、は言葉を詰まらせた。


「?さ」


そして突如として乾いた音が響くのだ。


「………ッ、!」


強制的に言葉を遮断させられた安室は、己を襲った突然の強打に其れこそ尻餅をつきそうになったのだが、男としてのプライドが働いたのか何とか足は其処に留めたままだったものの、脳が揺れたのか激しい目眩に襲われて相当気分は悪い。我慢の限界で直ぐ後ろにあった木の幹に凭れ掛かる様に背を預けると、文字通り顔面蒼白のが口元を存分に痙攣らせながら頭を下げた。


「ご、ごめんなさい!つい、つい!蚊が止まってて…!!」

「え、あぁ…あはは」

「すみません!すみません!!」


証拠だと言わんばかりにが突き出す右手の平には潰れた蚊。血が付着していない事から血を吸われる前だったのだろう。蚊を見つけて反射的に叩いてしまうのは分からなくも無いのだが、相手がなのだからあまり笑えない。よく生きてたな、自分。なんて思いながら相変わらず歪む視界の中で血の気の無い青褪めた表情のを見ながら、引き攣ってはいるものの何とか笑みを繕った。


「ま、ままままま真っ赤…!本当にすみませんでした!!!」

「これくらい大丈夫ですよ」

「大丈夫じゃないです!!安室さんの顔に傷を付けただなんて…世の女性全員敵に回したも同然です!!こ、殺される…!!」


の視線の先には“軽い平手打ち”を受けた左頬。真っ赤に染まった頬に手を伸ばしかけ、直ぐに引っ込めてから慌てふためくのだ。そんな様子を眺めている間に目眩は収まりクリアになる視界。真っ青な顔色のが面白くて、安室はちょっとした意地悪を決行する事を決めた。


「じゃあ…」


たかがビンタの1つ。そう言っちゃお終いだが、其れは一般的に普通と言える女性が行った場合にのみ該当するだろう。しかし今目の前に青褪めた女性は“池袋最強の女”であり、彼女の行ったビンタは即死の可能性を秘めたビンタなのだから。


「顔に傷が残ったら責任取って下さいね」

「んなぁ!!?」

「あはは、冗談ですよ」


目が飛び出さんばかりに、顎が外れたのではないかと勘違いしてしまいそうになる程に大きな口を開けて驚いた様子を見せたに自然と笑みが零れた。実にからかい甲斐のあるリアクションである。


「本当に気にしないで下さい。念の為、冷やしてきますから」

「は、はい…!」

「じゃあまた後で」


冗談が功を成したのか少し様子の落ち着いたに、安室は軽く手を振って来た道を戻る。徐々に遠去かっていく背中を眺めながらは一人呟いた。


「安室さん…攻撃力ほんと半端ないわー…」


はぁ、と盛大な溜息を零して肩の力を抜く。自分の容姿を分かった上での発言ならば良い性格をしていると言えるだろう。そんな事を思われているなんて知りもしない安室は、別荘の扉を開けて中へと入る。


さんの平手打ちはもう殺人級だな…」


眉を下げた安室は誰に向けた訳でもなく笑った。実の所、安室は二階には一度も行っていない。ベルツリー急行にが乗車していた事を安室が知ったのは、手榴弾の爆発の所為で八号車の後輪がレールから外れてしまい転倒しそうな状況に思考を巡らせていた時だった。近付いてくる足音と話し声に速やかに身を潜め覗き見れば、コナンと共にが現れたのだから、其の時は本当に驚いたものだ。そしてが軽々と連結部分を蹴り壊し、其のお陰で揺れが収まった事や、吹っ飛んでいった八号車を見守ったのは言うまでもない。


「(もし…アイツだったら…)」


はミステリーに興味は無い。職無しの金欠生活を余儀なくされているがベルツリー急行のチケットを購入するとは考え難い。となると残る考えられるケースは“誰かに誘われて乗車した”である。体質故か友人が少なそうな事からを誘った人物は恐らく最近知り合った人間だろう。其れがコナン達ならば、蘭と顔を合わせた時に一緒に居ても可笑しく無かった筈なのに居なかった。となると他の人物になる訳で、他に浮かぶ顔なんて安室には一つしか無かった。残念ながら、幾ら探せど何時もタートルネックを着た眼鏡の彼を目視する事は無かったが。そして気掛かりなのは、手榴弾を投げた、あの憎き男の顔。もし、死んだ筈のあの男が生きてあの列車に乗り込んでおり、と接点があったとしたら。が“あちら側”に付いたとして敵対する立場になったとしたら。


「…厄介だな」


あの“暴力”はそう簡単に太刀打ち出来るものではない。味方に引き込みたいとまでは考えては居ないが、敵にはしておきたくないのが本音である。ベルツリー急行の日から、此処に来てからもさり気なくの行動を監視していた安室は赤くなった頬を摩った。熱を持った頬は摩っただけでも痛み、案外重傷なのかもしれないと苦笑が漏れる。これなら蚊に刺された方が余程マシだった、なんて言ったら彼女はまた顔を真っ青にして土下座でもしそうな勢いで謝り倒すのだろう。痣になっても困る事は無いのだが、出来れば内出血していない事を祈りながらキッチンへと向かった。



















安室が別荘に引き返してからもテニスの自主練習(木の枝で素振り)をしていたが別荘に戻ったのは結構な時間が経過してからだった。別荘に入れば何故だか妙に静かで、二階から人の声が聞こえたのでは自然と階段へと向かい二階に上がれば、何故だか全員がとある一室の前に集結していたのだから驚いて目を丸くするのである。


「何してるの?」

「石栗さん、部屋に鍵掛けて未だ寝てるみたいで」

「これから安室さんが鍵開けて入ってみるとこ」

「鍵を?」


の問い掛けに蘭と園子が答え、は皆の視線を一身に受ける安室を見た。鍵穴に二本の針金を差しながら何やら作業をしており、程なくして聞こえた鍵の開く音には目を丸くするのである。


「開いたようですね…」

「普通に凄くないですか!?」

「すごーい安室さん!」

「まるで怪盗キッド!」

「セキュリティ会社の知り合いがいましてね…内緒でコツを聞いた事があるんです」


いとも簡単に解錠してみせた安室に、わっと盛り上がるや蘭と園子。其れににこりと笑って立ち上がり、ドアノブを捻って安室は扉を開けるが、扉は全開する事なく中途半端な所で止まるのだ。


「ん?何かが扉を塞いで…」

「開けるなァ!!」


僅かに開いた隙間の向こうから聞こえてきた怒声に驚いたのは何もだけでは無い。聞いた事も無い切羽詰まったコナンの声に何事かとも扉の隙間から中を覗き込もうとした時。


「開けちゃダメだよ…」

「コ…コナン君?」

「ドアを塞いでるの死体だから…」


コナンの深刻な声色と言葉には反射的に仰け反ると其の儘後退し、廊下の隅へと移動して視線を彷徨わせる。そんなの様子にいち早く気付いた小五郎は、そっとさり気無くに近寄ると様子を伺う様に僅かに身を屈めた。


「どうした?」

「あー…えっと…」


小五郎がを見下ろして問えば、眉を下げて情け無く笑うが零した言葉に小五郎の表情は歪んだ。そして気付くのである。仕事柄上、仕方ないとしても。


「人が亡くなった姿を見たくなくて…」


人の死に慣れきってしまっている自分自身に。









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