心の傷はアネモネ




ヒーローの説教から解放された頃には、すっかり日は傾いていた。途中まで一緒に帰っていた緑谷とはつい先程別れは1人帰路を歩く。


「おいブス!!!」

「は、はいっ!!」


背中から飛んで来た暴言に肩が跳ね上がり反射的に返事をする。人の事を平気でブスと呼んでくる相手等、は一人しか知らない。振り返ればやはり其処には勝己が居て、やけに苛立った様子なのに思わず口元が引き攣った。


「な、なに…?」

「俺は…!」


大股で近付いて来る勝己にの声が上擦るが、気にしていないのか気付いていないのか、勝己は血管が浮き出る程に強く拳を握り、吠える様に一気に捲し立てるのだ。


「俺はてめェに助けられてねえ!!デクにもだ!!あ!?なあ!?一人でやれたんだ。恩売ろうってか!?見下すんじゃねぇぞ、ブスの癖に見下すなよ俺を!!」


最早唯の暴言を吐き散らし、満足したのかを通り過ぎてさっさと歩いて行ってしまう勝己。其の背中を意味も無く眺めていれば、ふとヒーロー達が言っていた“タフネス”という言葉が脳裏を過ぎった。端から感謝されるとは思ってはいなかったが此処まで捲し立てられるとは誰が予想出来ただろう。やっぱり見て見ぬ振りして放っておけば良かった、なんて思ってしまう。結局あの後直ぐにオールマイトが来て対処したのだから、あのヒーロー達が言う通り出しゃばるべきでは無かったのだろう。と、考えていたら不意に前を歩いていたタフネスが振り返り怒鳴った。


「おい!!行くぞ!!」

「え、」

「飯食ってくんだろ!!うちで!!」

「う、うん」


恐らく一緒に行くぞ、という事なのだろう。光己から知らされていたのだろうが、勝己の意外な行動に思わずは吃るのだ。目的地が同じとはいえ一緒に行く必要性は無く、ましてや勝己は誘う様なタイプでは無い。どうした風の吹き回しなのだろうか、頭の中はショート寸前で、これ以上距離が開くとどんな暴言が飛んでくるか分からないので慌てて勝己の後を追うのだ。


「………」

「………」


他人にしては近く、友人にしては遠く、知人にしても遠い様な、そんな兎に角開いた距離感。二人の間に会話は無く、居心地の悪い沈黙が続く。何これ新手の拷問?虐め?なんて考えが過ぎりつつもは必死に平然を装うが、努力は虚しくも目は泳ぐ。何なら変な汗さえ吹き出すのだ。そんなを横目に見やって勝己の眉間に深く皺が刻まれる。そして薄っすらと口を開いたのなら、不機嫌な声色で言うのだ。


「すき焼きだとよ」

「…晩御飯?」

「それ以外に何があんだよ」

「そ、うだよね…ごめん…」


何で晩御飯のメニューかを聞き直して謝ってるんだろう。そんな事を考えて肩が竦む。もう少し言い方どうにかならないの?と思いつつも絶対にそんな事は口が裂けても言えそうにない。そんな事を言った日は、人生最期の日となるからだ。すき焼きの話の後は、お互い何も話題を持ち出す事はなく無言で、最悪の居心地の悪さに耐えながら帰路を歩いた。静かな住宅地を暫く進めば見えてくる一軒家。左に建つ家の表札は勝己、其の右隣に、建つ家の表札はだ。


「おかえりー。も一緒だったんだね」

「お邪魔します、光己さん」


玄関を開けて、さっさと中へと入って行く勝己。扉の開く音で気付いたのか出迎えてくれたのは個性の効果もあって若々しい勝己の母である光己だ。エプロン姿の彼女に向かって軽く会釈をして靴を脱ぎ、家へと上がりリビングへと向かった。既に勝己はリビングのソファーに深々と腰掛けてテレビのチャンネルをコロコロと変えており、は其れを尻目に部屋の片隅に鞄を置いて足早にキッチンへと急いだ。其の後を光己がニコニコとして追う。夕食をご馳走になるのだから、せめて手伝い位はと始めた行為が今となってはキッチンに光己とが並ぶのは見慣れた光景の一つでもある。また暫く通う事になる家だが、相変わらず未だ慣れないのは勝己が居る爆豪の家だからだろう。


「珍しいね、一緒に帰って来るなんてさ。気まずかったでしょ」

「えっと…」


食材を切る光己の隣で野菜を流水で洗うは思わず口籠るのだ。貴女の息子が苦手です、嫌いなんですごめんなさい、なんて言える訳もなく黙ってきていたのだが、どうやら光己にはバレているらしかった。


「あの、光己さん」

「どうした?」


洗った野菜をザルに上げ、水を切る為に上下に振る。そして勇気を振り絞って切り出した言葉。首を傾げた光己を見上げて口を開くが、なかなか言葉が出てこない。自分で自炊をするから今後はもう大丈夫。唯、其れだけの事が言えず口籠る。結局言葉にならず、ますます不思議そうにする光己に夏には目を泳がせるのだ。


「な、何でもない…」

「そう?ほら、準備終わったよ。すき焼き一緒に食べよう!」

「うん…」


の手から野菜を受け取り、すき焼き鍋に彩り良く投入すれば、出来上がった鍋をダイニングテーブルの上に既に用意されていたガスコンロの上へと置く。順番にコップや箸、お茶や白米と次々とダイニングテーブルへと並べて行けば、玄関の方から聞こえてくる扉の開く音と「ただいま」の言葉。リビングに姿を見せたのは爆豪家の大黒柱である、勝己の父の勝だ。


「おかえり」

「おかえりなさい、勝さん」

「ただいま。いい匂いだねェ…」


にこりと微笑む様子には勝の優しい性格が滲み出ており、其の性格がほんの少しでも良かったので勝己に遺伝されていれば良かったのにとは思うのだ。慣れた様子で食器棚から取り皿を人数分取り出し、ダイニングテーブルへと運ぼうとした時。


、ちょっと待って」

「え?」


光己に呼び止められて立ち止まれば、光己の指が前髪へと触れる。視界が半分ほど遮られた後に遠ざかっていった光己の指先が掴んでいたものは糸屑だった。


「ゴミ付いてた」

「ありがとう」


ゴミ箱の中に糸屑を捨てながら言う光己にお礼を述べて、今度こそ食器を運ぶ。ダイニングテーブルには既に勝が着席しており、テレビのチャンネルをバラエティ番組に切り替えた勝己が続いて席に着くのだ。勝己が座った席は勝の正面。光己が座る定位置は勝の隣なので、が爆豪家で食事をする時の定位置の席は自然と勝己の隣だった。


「じゃ、いただきます」

「「いただきます」」


光己の掛け声と共に手を合わせて言葉を繰り返したと勝。言わずもがな、勝己は無言で、さっさと箸で鍋の中を突いていた。


「ところでさ」

「?」

「どうやって一緒に帰って来たのさ。勝己から誘いそうにもないし、から誘ったわけ?」

「そんな訳ないよ!?」

「だよね。じゃあやっぱり勝己から?」


溶いた生卵に肉を絡めながらは横目に勝己を盗み見た。眉間には深い溝を作りながら無言で肉にがっつき、掻き込む様に白米を口に含む。そんな息子を見て光己はニヤリと口角を吊り上げるのだ。


「勝己も隅に置けないね」

「うっせババア!」

「アンタがうっさい黙って食べな!」


目を吊り上げて怒鳴る勝己に、同じく目を吊り上げて怒鳴る光己。顔は勿論だが性格も似ている二人のやり取りを眺めていれば、ふと偶然にも勝との目が合って同時に小さく苦笑する。このやり取りは最早見慣れたものだった。


「で、は高校何処受けるつもりなの」

「まだ決めてなくって…」


不意に光己に進路の話を振られ、は言葉を濁した。結局今日配られた進路希望表は空欄のままで、早く決めないととは思っているのだが、なかなか決まらない決められないでいる。皆の様にヒーロー志望でも無く、他にしたい仕事も特に無い。夢も。


「ふーん。なら勝己と一緒に雄英受けたら?」

「え゛っ」


思わず上擦った声が出て、反射的に口元を手で覆い、隣に座る彼の様子を盗み見る。勝己はやはり食事に意識が向いている様でには見向きもしなかった。


「やりたい仕事とかは決まってる?」

「決まってない…」

「ならますます雄英行けば良いじゃない。ヒーローにならないにしても、やっぱりヒーローの資格持ってたら就職有利なところ多いし、名門雄英出身ってだけで全然見られ方、変わるよ」


くたくたに柔らかくなった白菜を溶き卵に絡めながら言う光己に、確かにと納得しながらは豆腐を頬張った。ヒーローにならないにしても、就職を有利に進ませる為に資格だけ取っておくという話は良く聞くし、どうせなら名門有名校を出ている方が目に止められやすいのもあるだろう。が、だからと言って雄英受けますとも言えないのである。


「いや、でも…雄英、今年偏差値79らしいし…」

「勝己に勉強見てもらったら良いじゃない」


ね、勝己。と光己は息子に同意を求めた。市立中学から初めてにして唯一の雄英進学者という箔を付けたい勝己からして、光己の提案は飲めるわけもなく、としてもわざわざカンに触る様な真似はしたくない。そして何より一番の理由は自身それ程頭が良くない事と、勉強も好きでは無いので無理に頑張って受験勉強はしたくないのである。


「それにヒーローって結構儲けてるでしょ。雄英は優秀なヒーローも多く輩出してるし、今から儲けそうなヒーロー候補に唾つけとくのもアリだと思うよ」


にやり、口角を吊り上げて光己が言えば、隣から茶碗を机に叩き付ける音が響いて思わずの肩が跳ねた。反射的に振り向いてが見たものは、空になった茶碗と箸を机に叩き付け、無言で席を立ってリビングをさっさと出て行ってしまう勝己の姿。一瞬にして静まり返ったリビングに光己の溜息がやけに良く聞こえた。


「何怒ってんだか」

「わ、わざと怒らせたんだろォ…」

、ちょっと勝己見て来てよ」

「えええー…」


呆れ様子全開の光己と、困り顔の勝に、明らかに機嫌が悪かった勝己の様子に怯える。光己に目で嫌だと訴えるが、光己はにこりと笑うだけで取り合ってくれそうに無く、は半泣きになりながら、雄英受けたらなんて光己さんが言うから…!と愚痴を零して席を立つのだ。異様に足取りが遅くリビングを出る時には振り返り訴えてくるを、光己は笑顔で手を振り送り出せば、覚悟を決めたのかリビングを出て二階の勝己の部屋へと向かったに光己は呟く。


がさ、勝己の嫁に来てくれたら嬉しいよね」

「うん」

「勝己がもうちょっと素直になれたら良いんだけどね」

「そうだね」

「でも難しいんだろうね」

「お互いに、ね」


すき焼き鍋を目の前に夫婦はそんな話をしていた。穏やかな気持ちで、優しい声色で。そして少し困った様な悲しい表情で。其の頃そんな話がリビングでされているとは知らず階段を登りきり勝己の自室前に居るは、震える拳を握って覚悟を決めていた。深呼吸を5回繰り返した後、扉をノックしてからゆっくりと扉を開ける。


「あの、かっちゃん…私、雄英は」

「受けりゃー良いだろ」


恐る恐る開けた扉の向こうでは、ベッドの上で仰向けになり雑誌を読む勝己の姿がある。入室するつもりも勇気も無く、廊下に立ったまま言葉を紡げば、遮って言われた言葉には目が飛び出るのでは無いかと思う位に驚くのだ。まさか、あんなにも緑谷に受験するなと言っていたのに自分が許されるとは思わなかったからである。むしろ許されたいとも思ってはいなかったのだが。


「てめェが雄英受かるとは思えねーけどな」

「う…」


馬鹿にした様な、見下す様な言い方は常なので今更苛立つ事は無いが、傷付きはするものである。勉強や運動だけでは無い、何でもやれば出来てしまう才能に溢れた彼には、唯の普通の凡人の自分はきっと理解し難い生き物なのだろう。


「でも、ホント私雄英、」

「受けろよ。そんで無様に落ちろ!俺との格の違いを思い知れ!」

「(マジか、かっちゃん…)」


の成績は良いとも悪いとも言えない、中の中。可もなく不可もないが、雄英を目指すには到底無理な成績である。其れを百も承知なのだろう、だから無個性とはいえ頭の良い緑谷は駄目だが、個性があっても先ず筆記で受かる筈の無いの受験を許すのだ。みみっちい!


「まあ頑張れや。どうせ落ちるけどな!」

「うん…」


目尻は釣りあがり、眉間には皺。それこそ悪人さながらの馬鹿にし見下した様な口振りと笑い方に最早頷く事しか出来ず、居心地も悪くて意識を扉のドアノブへと向けるのだ。唯、様子を見に来ただけなのだから長居する必要は無いのだから。


「じゃあ、私戻るね」


上手く笑えず逃げる様にして扉のドアノブを引いた。静かに閉まる扉に、自然と肩から力が抜ける。のだが。


「おい」


突如現れた閉まる扉を遮る様に、扉の縁を掴んだ手。そして勢い良く開かれる扉に思わず後ろに体が退けば、目の前に勝己の顔が現れる。先程の様な馬鹿にした笑みは無い。唯、見透かす様な、射抜く様な瞳で真っ直ぐ見られ、は息を飲んだ。


「てめェの個性、“透過”じゃねぇだろ」


勝己の瞳に映る自分は酷く情けない顔をしていた。驚愕を其れこそ体現したかの様な、そんな滑稽な顔。そして其れに恐怖をブレンドしたかの様な、そんな顔だった。勝己の瞳が視線が痛くて痛くて仕方が無く、思考停止した脳をフル回転させてが叩き出した選択肢は。


「布団取り込むの忘れてた!」


笑ってとぼけてみた。すると勝己は一瞬、気を抜けた様な呆けた顔をしたので、其の隙を突いてUターンをしダッシュで階段を駆け下りるのだ。息をする間も無いくらいの人生最大の出力で足を動かした。


「おいコラ待てブス!!まだ話は終わってねぇ!!!」

「アンタ誰にブスって言ってんの謝んなさい!」


階段を降りきったところで上から降ってくる怒声と足音に喉が引き攣った。すかさず怒鳴った光己を尻目にリビングに置いていた鞄を引っ掴むと玄関へと飛び出すのである。


「お邪魔しました!」


階段の方からは何やら勝己と光己の怒鳴り合う声が聞こえる事から、光己が勝己の足止めをしてくれているらしい。全然食べていないすき焼きを名残惜しく思いながら、はにかんで手を振る勝に勢い良く頭を下げて逃げる様にして爆豪家から飛び出し、我が家である隣の戸建て住宅に飛び込むのだ。


「(本当の事、言ったら絶対かっちゃん怒る…ていうか、もう怒ってるけど…)」


意図的に個性を偽っていた訳ではない。それこそ最初は本当に“透過”の個性だと思っていたのだ。其れが偶々、偶然にも違った事が発覚し、言うタイミングを逃して今に至っただけに過ぎない。個性届も更新しないといけないのだが、何だかんだ面倒で後回しにしていた為、其れすらまだ手付けずの状態なのだ。其れを説明した所で、勝己は何で言わなかったのか隠してたのかと怒鳴るのは目に見えているので結局の選択は“逃げ”の一択なのである。閉まった玄関の扉に背を預けて、誰も居ない静かな家の中で大きく息を吐いた。








inserted by FC2 system