心の傷はアネモネ




今年偏差値79の超が付く程の難関校は、強力な個性は勿論の事、かなりの学力も必要とされる。個性の面はさて置いてもが雄英を目指すには無理があった。何故ならお世辞でも勉強が出来る分類であると言えないからである。勝己の事だ、雄英を受けなければ今度は何を言われるか分からない。そもそも学力的に受かる訳が無く、落ちろと言われているのだから所謂“記念受験”だ。第二希望という名の本命校は自宅から近い高校なのだが、今思えば寮付き他県の高校にすれば良かったと後悔。寮付きの他県の高校なら、勝己と関わる事はもう皆無に等しいからだ。今からではもう間に合わない思い付きを惜しく思いながら迎えた入試当日、2月26日。第二希望の高校では無く、第一希望の記念受験の方。筆記試験は後日らしく今日は一般入試の実技試験だ。


「おはよ、いっちゃん」

「おはよ、!」


雄英の敷地内を歩いていると前方に見知った背中を見付けて自然と早足になった。追い付いた其の背中に声を掛ければ緑谷が振り返り笑う。が、其の表情は固い。


「緊張してる?」

「そりゃそうだよ!心臓が飛び出そう!」


胸を両手で抑える緑谷に思わず笑みが零れた。雄英に入学する事は緑谷にとっては幼い頃からの夢の一つ、緊張くらいするのは当然だろう。自然のと緑谷の歩幅は同じになり、二人は並んで他の雄英受験者達と同様、校舎へと向かって歩いた。


「でも意外だった、まで雄英受けるなんて」

「落ちて俺との格の差を思い知れ、だってさ」

「かっちゃん…?」

「一応勉強はしたけど、記念受験だよ」


肩を降ろして苦笑いを一つ零せば、事情を察した緑谷はどの様な顔をしたら良いのか分からないと言った風に何とも表現し難い表情を浮かべる。片や受験するなと脅され、片や受験して落ちろと指示され、共通の幼馴染を持つ二人は互いを労わる様に苦笑するのだ。


「けど雄英落ちろは本心じゃないよ」

「そんな訳ないよ、かっちゃんだもん」

「でも」


有り得ないと眉を下げて笑うに緑谷は口を開き言葉を繋ごうとする。が、其れはタイミング良く彼によって阻まれる事になるのだ。


「どけデク!!ブス!!」

「かっちゃん!!」

「俺の前に立つな殺すぞ」

「おっお早う、がんバ張ろうねお互ががい…」


話題に上がっていた本人の突然の登場に動揺しない筈も無く、言葉すら出なかったは素早く目を逸らし端に寄って、緑谷も身構えるのだ。勝己はそんなを一瞥した後、緑谷を強く睨み付けて素通りすると、ガラの悪さ全開の歩き方をする勝己の背中を二人は息を飲んで見送った。


「ビビっちゃうのコレもう癖だ…」

「私も…」


周囲の注目を集めながら遠去かっていく背中に示し合わせた訳でも無いのに二人は同時に息を吐いた。ほんの少し緩まった緊張感には首に巻いたマフラーを引き上げて緑谷に手を振るのだ。


「じゃあ、いっちゃんも頑張ってね」

もね」

「うん。落ちるだろうけどね 」


遠去かるの背中を見送って緑谷は小さく息を吐いて肩の力を抜いた。は気付いていないのだろうが、ずっと一緒だったのだから緑谷は其の秘密に気付いていた。一見分かりにくく感じても“彼”の性格や性質を知っていれば直ぐに分かる様な秘密。


「(本当は一緒に雄英行きたいんだろうな、かっちゃん)」



















実技試験に入る前、其の説明を受ける為に集められたホールには受験生達が詰め込まれ、中央の壇上にはラジオで御馴染みのプロヒーローが立っていた。


『今日は俺のライヴにようこそー!!!エヴィバディセイヘイ!!!』


異様なテンションの高さで事を進めるプロヒーロー、プレゼント・マイクに対し、受験への緊張からか静まり返るノリの悪い受験生達。温度差が凄まじいホール内に、プレゼント・マイク自身も大変居心地の悪さとメンタルへの大打撃を受けている筈なのだが、どうやら彼のメンタルも強靭其のものらしい。


『こいつあーーーシヴィーーー!!!受験生のリスナー!実技試験の概要をサクッとプレゼンするぜ!!アーユーレディ!?』


本来なら「YEAH!」と返ってきて可笑しくない場面にも関わらず、受験生側からの返事は無い。プレゼント・マイクを憐れみ率先して自身が声を上げようとも思う筈も無く(だって恥ずかしい)本物のプレゼント・マイクに感動する緑谷の隣ではこれから行われる実技試験の説明を聞くに徹した。入試要項にも書かれていた通り、この後10分間の持ち込み自由の模擬市街地演習を行う為、プレゼン後は各自指定の演習会場へ移動する様にプレゼント・マイクは言う。同校同士で協力させない為か、受験番号が連番でも会場は違うらしく、勝己、緑谷、は違う会場だった。演習場には仮想敵三種多数配置されており、其々の攻略難易度によってポイントが異なる様で、中には0ポイントの仮想敵もいるらしい。兎に角、仮想敵を行動不能にしポイントを稼ぐのが此の実技試験の様だ。プレゼンが終わり、やる気満々なのか目を血走らせる勝己を尻目に緑谷と手を振って別れ、は指定の演習会場へとやって来た。会場へと入る前にあった更衣室で持参したジャージに着替え、受験生一同は演習会場前で開かれた扉の向こうに見える広大な敷地と街そのものの演習会場を眺めていた。


「(流石名門校雄英…お金の掛け方が普通の学校と違う…)」


演習会場なんて勿体無い、普通に住めるレベルの建造物達には思わず絶句するのである。其れもそうだろう、此の目の前の全てがヒーロー志望とはいえ高校生の為に作られた設備なのだから。とある受験生は精神統一をし、とある受験生はやる気をみなぎらせており、またとある受験生は掌に人と書いて飲み込んでいる中、は何気無く空を見上げた。カラッと晴れた良い天気だった。


《ハイスタートー!》


何の前触れもなくプレゼント・マイクの声が響く。身構えていた受験生達面々は、突然のあっさりとした合図に唖然としており突っ立っているだけだった。勿論、其れはも含まれている。


《どうしたあ!?実戦じゃカウントなんざねえんだよ!!走れ走れぇ!!賽は投げられてんぞ!!?》


刹那、一斉に慌てふためく受験生達が流れ込む様にして演習会場内へと駆け出して行った。特別足が速い訳でも無いは、其の最後尾と言っても過言では無い後方を走り、会場内をぐるりと見渡す。彼方此方で仮想敵が受験生達に襲い掛かっては返り討ちに遭っていた。


『標的捕捉!!ブッ殺ス!!』


車が走行していない道路の真ん中を走っていれば不意に斜め後ろから聞こえてきた機械音。振り返り目視すれば1ポイントの仮想敵が此方を向いており、は建物の方へと身を寄せた。迫り来る仮想敵を建物の外壁に背を預けて其の瞬間が来るまで待つ。仮想敵が今だと言わんばかりに飛び掛かって来たのなら其の瞬間を見計らっていたは後方へと飛び、壁をすり抜け建物の中へ移動するのだ。すると壁越しに仮想敵が壁にぶち当たって自滅したのだろう、悲惨な音が聞こえてきたのだから、確認のしようがないが恐らくこれで1ポイントは加算されただろう。


「(このやり方でポイント稼ぎすれば良いっか)」


此の実技試験をやり過ごす方法を決め、は玄関の扉から建物の外へと出ると周囲を見渡し仮想敵を探した。目に付いたのは確か3ポイントの仮想敵で、すかさずは其の仮想敵へと向かって走る。すると其の道中、他の仮想敵が此方を向いて追ってくるのだから一石二鳥どころじゃ無かった。


『標的捕捉!!』

『捕捉捕捉!!』

『殺ス!!殺ス!!』


3ポイント仮想敵も2ポイント仮想敵も1ポイント仮想敵も、最早一つの群れとなって逃げる様にして走るの後を追う。絶妙な距離感を稼ぎながら一番近くにあった頑丈そうな壁の建物に背を向けて立ち止まると、飛び掛かってくる仮想敵達。すっと身を引いて壁の中に沈んだのなら、やはりまたしても悲惨な音が響いてきた。


《あと6分2秒〜》


プレゼント・マイクが告げる残り時間を聴きながら時間短縮の為に玄関には回らず壁から外へと出た。ら、突然目の前が真っ白になるのだ。白に覆われたわけではなく、単純に眩い光に何も見えなくなったのだ。


「今の何だったん…」


チカチカする目に自然と眉間に皺が寄る。目を擦りながらぼやけた視界で状況確認する為に周囲を見渡せば、黒い煙を上げて辺りの仮想敵達が再起不能となって転がっており、其の中心部に佇む男子が一人。彼の個性なのだろう、凄いなぁ、なんて感心していると不意に其の男子が振り返り、目が合った。


「ウェ〜〜イ」

「…こんにちは」

「ウェ、ウェ〜〜イ…」

「…大丈夫ですか…?」


間抜けな顔で同じ言葉を繰り返す男子に、少し頭がアレなのかもしれないなんて失礼な事をは考えた。親指を立てて何かを訴えるようにウェーイと繰り返されるが、全くもってには伝わらないのである。無視しても良いだろう、関わらない方が良いだろう。そう結論付けたは軽く頭を下げるのだ。


「じゃ、この辺で…」


差し当たりの無い言葉で別れを告げ此の場を離れようと試みた時である。死角から突如現れたとても大きな仮想敵が現れたのだ。事前にプレゼント・マイクが言っていた0ポイントの仮想敵だろう、尋常じゃ無い大きさで存在感を放つ其れには喉が引き攣るのを感じた。


「逃げろーーー!!」

「何なんだよ、この仮想敵!!」


誰かが叫び、其れをキッカケに周囲にいた面々が一斉に走り出して散り散りとなって行く。も此の場から離れようと足先を仮想敵の居る方向とは真逆の方へと向けるが、視界の端で微動だにしない存在に、まるで足が地面に縫い付けられて居る様な、そんな感覚を覚えた。


「(こんなの、後味悪過ぎる!)」


仮想敵を見上げ冷や汗を流しながら鼻水を垂らす男子に舌打ちをしたくなる様な衝動に駆られながらは飛び出した。微動だにしない男子の腕を掴んで力一杯引っ張り仮想敵から少しでも離れようと足を動かす。しかし男子の足取りは重く引き摺る様にしてが走るが、仮想敵との距離はあっという間に狭まるのだ。


「ウェ、ウェ〜〜〜イ…」

「何なの其れさっきから!!」


ついつい声を荒げてしまうのは此の状況下でも謎の発言を繰り返す緊張感の無い彼の所為だ。後ろを振り返れば間抜けな顔をした男子越しに見える仮想敵。間近に迫る大きな手に血の気が引いた。


「伏せて!!」


がそう叫んだと同時に、は抑える様に、庇う様にして今まで引き摺って走っていた男子の上に覆い被さり、目の前まで来ていた仮想敵の大きな手に息を飲んだ。其の鉄か何かで出来た冷たく角ばった手が今正にと男子に触れようとした時、まるで弾かれる様に手が後方へと勢い良く且つ派手に飛ぶのである。


「…ウェ〜イ…?」


男子の間抜けな声は最早唯のBGMだった。目の前には倒したところで何の得にもならない巨大な仮想敵が立ちはだかったままで、の身体は強張る。身体の緊張は守る様に下敷きになっている男子にも伝わったのだろう、男子が腕と腕の合間からの横顔を見上げていた事に気付く余裕すら無く、は仮想敵に意識を集中させていた。


「(どうする!?どうする…!!?)」


頭をフル回転させるが良案は浮かばない。壁をすり抜けてやり過ごした所で、目の前の巨体の仮想敵は建物をぶっ壊して突っ込んでくるだろうし、何よりすり抜けられるのはだけで男子は無理だ。


「(こんな目に遭うなら、かっちゃんに怒鳴られる方がマシだったなぁ…!)」


口元に引き攣った笑みが自然と出る。今更になって雄英受験を後悔したを、下敷きになったままの男子はしっかりと見ていた。其の目には“覚悟”があったのだ。そして其の目が不意に己に向いて思わず息を飲むのである。


「ごめん、私の個性じゃ君を守れそうにないや」


歪な笑みでそう言った彼女に目を奪われた。


「頑張って、走って、逃げて」


そう言って覆い被さる身体を起こし立ち上がったは二度と男子を見ることはせず、真っ直ぐと仮想敵を見上げて走り出した。


「(私が今精一杯出来る事、は!)」


恐怖で震える足を何とか動かし、縺れそうになりながらも前へ前へと踏み出して蹴る。危険だと思えばすり抜ければいい、身の安全だけは確実に保証されているにも関わらず、やはり怖いものは怖い。けれどきっと、あの男子はもっと怖いだろう。彼は仮想敵に攻撃された時に防ぐ術をきっと持っていないのだろうから。だから。


「(届く!)」


伸ばした手が仮想敵の巨体を支える足に届くまであと数センチ。息を飲み、自然と意識が集中する指先。そして中指の先がひんやりとした鉄の塊に触れた瞬間。


《終了〜!!!!》


響き渡るプレゼント・マイクの合図に身体が一瞬硬直した後に忘れていた呼吸をした。ドクドクと早く鼓動する心臓を治める様に鉄に触れていた手をそのまま胸にやって深呼吸を一つ。どっと疲れが押し寄せてきて思わず其の場に座り込み、動かなくなった鉄の塊を見上げた。


「…資格取れても絶対ヒーローやらない…」


こんなの命幾つあって足りないわ、とは大きな溜息を零すのだ。



















其の後、別日にあった筆記試験も無事に終えて一週間が経過した頃。ポストに届いていた雄英からの郵便物に合否出るの早いな、なんて思いながら階段を上った。向かった先は自室であり、ベッドの上に座りながら封を開ける。中から出てたのは折り畳まれた用紙と得体の知れない円形の機器。機器を手に取って観察する様に眺めていると徐に其れは光を放ち、空間にスクリーンを映し出せば、プロジェクターらしい機器をベッドの上に置いてスクリーンをぼんやりと眺めてた。映し出された人物はナイスバディな美女なものの健全とは言い難い人物だった。


《初めまして、さん。私はミッドナイト、今回は貴女の受験結果を報告する為に手紙を送らせて貰ったわ》


スクリーンの中でミッドナイトがにこりとする。受験者全員にプロジェクターをセットにしたこともだが、教員が直々に合否報告をするという、かなりの時間と費用のかかった其れに相変わらず雄英は別格なのだと思わざるを得ない。


《そうね…筆記はギリギリ、あと一問でも間違えてたら落ちてたわね。実技は…そう、言ってなかったんだけと実技は敵ポイントだけじゃなく審査制の救助活動ポイントっていうのがあってね。貴女は敵ポイントは少ないんだけど救助ポイントが40ポイント》


つまり?とスクリーンの中の美女を見つめれば、美女もまたを見返して笑みを深める。もしかして、なんて馬鹿げた予想をしてしまった。


《合格よ》


妖艶な笑みを浮かべた美女が、馬鹿げた予想が現実である事を告げた。信じられない、あの雄英に、なんて激しく動揺しながらも、何とも言えない高揚感に包まれる。が、其れも長くは続かなかった。


「合格した事かっちゃんにバレたら殺される…!」


一瞬で血の気が引き、肌寒さすら感じた。怒り狂うであろう幼馴染の形相を想像して身震いしながら、は必死に言い訳を考えるのである。









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