心の傷はアネモネ




悲劇。唯其の一言に尽きた。


「(測るんじゃなかった…余計にしんどい…)」


雄英の合格通知を受け取った1週間後、第二志望校であり本命である高校入試当日、信じられない事に39度の発熱を伴う風邪を引いたのである。体の怠さに何気無く検温したのが良くなかった、“熱がある”と認識した途端、余計に倦怠感が増した気になってしまったからだ。


「(なんか薬あったっけ…?)」


冬だからか、発熱の所為なのか、兎に角寒くて身体が震えた。いつまでも横になっているわけにはいかず、意を決して布団から出ると置き時計に視線を向けた。起床してから検温して、今迄のんびりし過ぎてしまったらしい。


「時間、ないなぁ…」


ベッドから降りて掛けていた制服を手に取って袖を通す。食欲は無いけれど、コップ一杯の水くらいは飲んでから行こう。そう決めて着替えを済ますと昨夜のうちに荷物を入れていた鞄を手に取り、壁に寄り掛かりながらゆっくりと階段を降りた。朝食を取る時間は無い、入試会場に時間迄に到着するにはだ。


「頭痛い…」


コップに何とか水を注いで一気に飲み干すと咽せて咳が出た。呼吸が落ち着くとマフラーを首に巻き付けて玄関へと向かい、ローファーを履く。10分後の電車に乗らなければ。頭の中はそればかり考えていて家の鍵を握りしめて外へと出れば、丁度冷たい風が吹いて身体がぶるりと震えた。


「(さ、さっむい…!むり…)」


震える手で何とか施錠すると駅に向かう為に少々覚束ない足取りで歩き始めた。寒さを少しでも和らげようとマフラーに顔を埋めながら手を摩り、丁度爆豪家の前を通りがかった時である。


「あ」

「あ?」


偶然にも家を出てきたばかりの勝己との鉢合わせ。目と目が合って思わずが声を漏らすと、勝己もを見て、そして片眉を吊り上げ、睨むように目を鋭くさせたなら、大股での目の前まで詰め寄ると、じっとを見下ろすのである。


「か、かっちゃん…?」

「………。」


戸惑うに勝己は眉間に皺を寄せると、今度はの腕を引っ掴み家の中へと引き返すのだ。急に腕を引かれた事や、熱で具合が悪い事もあり、は転びそうになるが何とか踏ん張り回避すると、勝己は玄関の扉を開け放てば、高熱の影響か頭痛を引き起こしているには地獄の様な大声を上げるのである。


「オイ!!ババア!!」

「朝から叫ぶんじゃ無いよ!!ってあれ??どうかした?」

「コイツ熱ある」


依然としての腕を離さない勝己は素っ気なく光己に告げると、光己は途端目を見開いて慌て出し、そんな様子を見ていたは慌てて掴まれていない方の手を左右に振るのだ。


「大丈夫…!ちょっと風邪引いた、だけ…」


刹那、歪む視界に言葉が詰まり、身体の力が急に抜けて傾くのを遠退く意識の中で感じた。最後に感じたのは胸の辺りを何かで支えられて床との直撃を免れた事と、遠くで微かに光己が慌てる声、そして薄い金髪の合間から見える真っ赤な目だった。



















額の気持ち良さに目が覚めて薄っすらと目を開けると視界には光己が映り込んだ。どうやら丁度冷却ジェルシートを貼ってくれていたらしい。ひんやりとした其れが気持ち良くて目を細めると、光己はほっとした様に表情を緩めた。


「熱あるなら安静にしとかないとダメじゃない。お腹空いてる?」

「…空いてる…」

「じゃあお粥作ってくるね。時間掛かるし、もう少し寝てなよ」


そう言っての頭をひと撫でし微笑んだ光己はの部屋を後にする。閉ざされた扉の向こうから聞こえる階段を下っていく足音。未だ熱は引いていないらしい、ぼんやりとした頭で視線を彷徨わせているとある事に気付いては思わず目元を手で覆った。


「(…ここ、かっちゃんの部屋じゃない…?うわあ………マジか…)」


見慣れてはいないけれど知った部屋の内装に、自分が使ってる物とは違うけれど知った柔軟剤の匂い。何週間か前に覗いた時と変わりない部屋のレイアウトは勝己の私室だと告げていて、この後この部屋の主に何と怒鳴られるのかと思うと余計に体調が悪くなりそうだった。と言うよりも既に悪化した気がした。


「(光己さんお粥作ってくれるって言ってた…お粥食べたらかっちゃん帰って来るまでに帰…)」


覆った腕をずらして時刻を確認しようと時計を探す為に視線を横に向けた時、一瞬は思考停止するのだ。窓の向こうがすっかり暗闇になっていたからである。


「!!!??」


血の気が引いて声にならない悲鳴を上げ、ベットから飛び降りて見つけた掛け時計を見上げれば、針が指すのは午後7時。11時間も寝ていた事にも驚きだが其れ以上に。


「おいコラ起きてんじゃねぇよ」

「か、か、か…っ!」

「あぁ?」


動揺が隠せず、ついどもってしまう。帰って来ていたらしい勝己が部屋に入って来た事にも驚きだが(むしろ此処は勝己の部屋である)今のにはそんな事すらどうだって良かった。其れが勝己には分かったのだろう。にやりと口元に弧を描き、不敵な笑みを浮かべた。


「今日の入試完全に落ちたな」


馬鹿にした様に、というよりも馬鹿にしているのだろう。せせら笑う勝己に夢ではなく現実なのだと思い知らされは言葉を失うのだ。そして視線を下へを落とし、覚束ない様子でベッドに座るのである。


「(落ちた…落ちちゃった…)」


本命校への進学が完全に潰れた現実は、結構なダメージを与えてくれた。肉体的にも精神的にも一撃必殺の攻撃でも受けたかの様で、じんわりと目が熱くなり、前が僅かに霞む。そんな放心状態のを見て何を思ったのか、勝己は眉間に皺を寄せると部屋の中へと入れば通学鞄を机に置いた。


「雄英受かってて良かったな、浪人しなくて済んだだろ」


彼にしては落ち着いた声色でに背を向けて言う勝己は、ローチェストの引き出しから服を取り出し、着ていた学ランを脱いでハンガーに掛けた。脱ぎ捨て癖のある勝己を、其の度に光己が皺になると怒っていたからついた習慣だろう。


「(そういや雄英受かってたんだった…)」


絶対に無いと思っていたからか完全に忘れていた雄英合格を思い出し、ふと思う。そして其の疑問は考えるよりも早く口から出ていた。


「怒ってないの…?」


静かな部屋には小さな声ですら良く通り、背を向けていた勝己の紅い瞳が振り返り此方を見る。其の瞳には、表情には、“怒”の感情は無かった。


「受けろって言ったのは俺だ」

「(…怒ってない…てこと…だよね…?)」


怒り狂うだろうと予想していたのに全く其の様子を見せない勝己に少なからず戸惑ってしまう。緑谷が雄英に合格したと聞いた時は凄い怒り様だったからだ。そして、ふと気付くのである。


「…何で私、雄英受かったの知ってるの…?」

「ババアが言ってた」


雄英に合格した事は未だ両親にしか報告していないのだ。勝己が光己から聞いたのなら、きっと母が光己に言ったのだろう。何せ母と光己は親子であるよりも頻繁に連絡を取り合っている様だからである。


「え、」

「あ?何だよ」

「何って…!」


突然シャツのボタンに手を掛け、徐に脱ぎ出した勝己には慌てて手で顔を隠し横を向く。服の擦れる音がやけに耳に着いて、妙に恥ずかしい気持ちになった。


「いきなり着替えなくても…」

「はぁ?何でだよ」

「(いや、こっちが何でだし…!)」


制服から部屋着に着替えるのは分かるが、せめて部屋の外で着替えてくれれば良いのに。と思うものの、此処は勝己の部屋であり、邪魔しているのは自分の方なのだ。文句が言える立場じゃないのかも(そもそも文句を言えば殺されそう)と思った所。やけに袖が長い気がして顔を覆っていた手を離し袖を見る。見慣れたセーラー服じゃない、無地の黒のスウェットだった。しかもサイズも大きい。


「これ、もしかして…」

「俺ンのだよ、文句あんのか?あぁ?」

「ないですごめんなさい」


普段通りの威圧的な声色に反射的に謝罪を口にして固く口を噤んだ。やはり勝己への恐怖心は消え去る事は無いのである。居心地の悪さに気を紛らわそうと服の袖で指を出したり隠したりして遊んでいれば、自分の服のサイズと違いに熱の所為で可笑しくなっているのか、楽しくなってきては小さく笑うと、見ていたのか爆豪が落ち着いた声で問う。


「何笑ってんだよ」

「…昔はあんまり変わらなかったのに、私より大きくなったんだなあって、思って」

「当たり前だろが、男だからな」

「そう、だね」


同じ位の背丈だったのに、いつの間にか身長は抜かされ、体格差もこんなにも出ていたらしい。ちらりと勝己を見上げれば着替えは済んだのかパーカーにズボンというラフな格好に着替えた勝己が椅子に座って頬杖をついていた。


「(熱の所為かな…いつもより怖くない…)」


目が覚めてから座り続けているからか、喋り過ぎたのか、身体の怠さが酷くなってきて横になりたい衝動に駆られる。自然と降りる瞼に、もう座ってられないと感じてはそっと目を閉じて倒れる様に横になった。


「かっちゃん…、」

「ンだよ」

「…ごめ…、ちょっと、横なってて良い…?ちょっとだけ…」

「好きにしろよ」

「……ごめん…、ちょっと休んだら…帰るから…」


朦朧とする意識の中で布団が掛けられた様な感覚に続き、顔に掛かる髪が横に流された。気がした。確認する気力も無い位にはの意識はもう途切れかかっていた。


「治るまで寝てろ、アホ」


まるで誘われる様に導かれれ様に意識が沈む。雄英に進学が決まった、肌寒い冬の夜だった。









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