獅郎が、死んだ。



こんな、奴の為に
獅郎が死んだ。




獅郎の葬儀が行われた日は土砂降りの雨が降っていた。まるで皆の心を映したかのような暗い空から降る雨はとても冷たい。葬儀が終わり、遺骨が埋められた墓の前で葬儀に参加した人々が一礼をして去って行く。


「(獅郎―――…)」


言葉には出さず、心の中で名を呼んだ。虚しさが胸を埋め尽くし、はうっすらと開いた口をきゅっと一文字に閉じる。




置いていかないって、約束 した のに




そう、考えてしまうのはいけないことなのだろうか。何年も前に交わした約束が脳裏を過る。小指と小指で絡ませて互いに誓い合ったというのに、結果これだった。


「(頭からアンタの笑顔が消えてくれない)」


墓前で佇むは傘も差さず雨に打たれており、其れを離れた所で燐と雪男が見守っている。葬儀に参列した人々は悲しみを背負いながら其々の帰るべき家への帰路を歩き出し、人が獅郎の前から次々と離れて行く中、は墓前から一歩も動こうとはしなかった。




あいつが、いなければ―――――



あいつさえ、いなければ―――――




「(アンタさえ居れば、後は何もいらなかった)」




獅郎は、死ななかった




脳裏に笑顔を浮かべた燐が浮かび、まるでモザイクが掛かるように燐の顔が歪んで霞む。其の考えが間違っている事は理解しているものの、思考はどうしても其の方向で廻ってしまうのだ。本当は分かっているのだ。燐の所為で獅郎が死んだのではないと。獅郎は燐を護る為に、死んだのだ。


「(獅郎、)」


呼びかければ、笑顔で振り返ってくれた彼はもう居ない。何度呼びかけても何度彼の名を叫んでも、彼が返事をする事はもう二度と無い。


「(今まで言わなかったけど、本当は、あたし。アンタの事、好きだったんだよ)」


意地悪を言う声も、優しく頭を撫でてくる手も、大きくて頼りになる背中も、誰よりも清くて強い心も、真っ直ぐで力強い瞳も。全部、全部、全部全部全部全部、大好きだった。









。燐と雪男を護ってやってくれ」




「頼む―――――…」










獅郎が最後にへ向けて残した言葉が何度も何度もの頭の中を駆け巡る。結局、最後まで獅郎はあの兄弟の“父”だった。


「最低だよ、アンタ」


何とか振り絞って出た言葉は何とも情けない声で。ここに来てやっと目の前が生暖かい其れでくしゃりと歪む。


「最低だよ…」


一筋の涙が頬を伝う。









アンタが愛した者が、









「これじゃ、守るしか無いじゃない…」









あたしだったら、どれだけ幸福だったことか









そう、思わずには居られなかった。そう強く望んでしまった。其れ程、の中で藤本獅郎という男はとても大きなかけがえのない存在になっていたのだ。


「アンタが残した息子達」


決意は固まった。感情も元の静けさを取り戻し落ち着いている。獅郎が居なくなった今、やるべき事も、するべき事も、決まった。其れはきっと、そうあるべきだという客観的な思考と、何より獅郎が其れを強く望むだろうと思って。大切な獅郎が願った事を叶える事が何より一番だと思ったからだ。




「この命、尽きるまで」




必ず、護るよ




「それが、あたしの出来る最大の恩返し」




また、生きる力を与えてくれたのは確かにアンタだったから









「この命、貴方の願いに捧げよう」









獅郎の墓前に涙を静かに流しながら、は彼等を護る事を誓う。三度目の人生は決まった。其れは命を賭けて獅郎が護った双子を、獅郎の代わりに護り抜く事。此れが最後の生であり、最後の死である事を渇望した死神は、過去、新たに与えられた命を嘲笑う様に嗤った時の様に、再び嗤った。


「また来るよ」


は雨空を見上げ、そっと瞳を閉じた。溢れ出た涙が冷たい雨粒に流され、涙を流した痕跡さえ消し去ってしまう。ぬかるんだ土を踏みしめる音が聞こえ、其方を横目に見れば深刻な表情を浮かべた燐が其処に立っていた。燐は一度視線を獅郎の墓へと向けると、再びへと戻して静かに口を開くのだ。


…俺…、」

「いい」

「え…」


視線を地面に落とし、言葉を詰まらせながら何かを言いかけた燐の言葉をは遮る。驚いた様に声を漏らして顔を上げた燐が見たものは、相変わらず仏頂面をした普段と変わらぬの姿があった。


「言わなくても良い。分かってる」


其の言葉は燐の胸の中でどんな波紋を呼んだ事だろう。燐は下唇を強く噛み締めれば徐にズボンのポケットから一台の携帯電話を取り出す。開いた画面に、ボタンを何度か押せば、携帯電話を耳に押し当てた。何処へ、電話を掛けている様だった。しかし、その“何処か”は直ぐに判明する事となる。着信を知らせるコールが直ぐに近くから聞こえ、いつの間にか顔半分を隠した男達が燐とを囲む様にして立っていたからだ。水溜りを踏み付け、彼は現れた。


「はじめまして、奥村燐くん」


携帯電話から聞こえる声が、同じ空間からも聞こえ、燐は突如現れた葬儀には似つかわしくない派手な格好をした男を凝視した。雨を防ぐ為ではなく、まるで自分を着飾る為のファッションアイテムかのように小さな傘を持った不気味な雰囲気を漂わせる男が、燐の持つ携帯電話と繋がっていた通話を切る。


「私はメフィスト・フェレス。藤本神父の友人です。この度はお悔やみ申し上げる」


メフィスト・フェレスと名乗った白を基調とした服を纏う男はにたりと笑って燐へと歩み寄った。そんなメフィストと周囲を囲む様にして佇む男達を視界の中に入れながら燐は困惑しながらも努めて冷静に言葉を繋ぐ。


「お、お前ら……祓魔師か…?」

「“正十字騎士団”と申します」


まるで燐と対立するかの様に不気味に笑うメフィストに、はさりげなく燐とメフィストの間に立った。燐の視線は相変わらず真っ直ぐメフィストへと向けられており、メフィストは一度視線をに向けるも、直ぐに燐へと戻す。


「…ジジィはお前が保護してくれるって言ってたぞ」

「私はこれでも名誉騎士…責任ある立場でしてね。公私混同はしない主義です。貴方はサタンの息子、人類の脅威となる前に殺さなければならない」


殺す、そう言ったメフィストの宣戦布告とも取れる言葉に燐は息を呑み、はすっと目を細めた。凍りついた空気に、張り詰める神経。そんな中、メフィストは明るい声で傘を持つ手とは反対側の手を掲げると人差し指と中指の二本を突き立てて言うのだ。


「貴方に残されている選択肢は二つ。“大人しく我々に殺される”か…“我々を殺して逃げる”か…おっと。“自殺”という選択もありますな?」

「………。」

「…さあ。どれが一番お好みかな?」


どちらにしても死が付き纏う選択。三つ上げられた選択の内、二つに関しては燐の死だ。メフィストはやけに冷めた瞳で燐を見据える。そして返した燐の回答は、メフィストの予想を遥かに超えるものだった。


「仲間にしろ!」


雨に長く打たれていた所為か、十分に水分を吸った髪がべっとりと肌に張り付く。毛先から水滴が流れ落ちて行く中、燐は揺るぎない意志を持ってメフィストにそう言いのけるのだ。其の時のメフィストの表情と言えば、鳩が豆鉄砲を食らった様だった。


「お前らがどう言おうが………俺はサタンとか…あんな奴の息子じゃねぇ!!俺の親父は…ジジィだけだ…!」


強く拳を握り、はっきりとそう告げた燐にはほんの少し安堵する。獅郎が燐を息子だと思っていた様に、燐も獅郎を父親だと思っていた事に安心したのだ。勿論メフィスト達には気付かれ無い様にひっそりとだ。其の隙を突いて攻めて来られたらたまったものではないからである。


「祓魔師になって…どうするんです?」

「サタンをぶん殴る!!!」


燐の其の言葉が、ついにメフィストの腹筋を崩壊させた。シリアスな雰囲気は一体何処へやら、大きく口を開けて大爆笑をするメフィストは心底可笑しいとでも言う様にただひたすら笑い続ける。自身の発言を笑われていると理解していながら、苛立ちを燐が覚えない筈が無く、燐は前に立つの肩を掴んで前のめりになると、メフィストに声を荒げた。


「何がおかしいんだよ!つかテメーの格好の方がよっぽどおかしいから!」

「ハハハ、正気とは思えん…!」

「正気だ!!」

「ククク…サタンの息子が祓魔師…!!」


長い前髪を掻き分けながら、食ってかかる燐を見てメフィストは引きつった表情に薄っすらと笑みを浮かべる。そして突如、その表情を引き締めると、とんでもない事を言うのだ。


「面白い!いいでしょう!」

「ちょ!?フェレス卿!」


先程まで殺すと宣言していたメフィストが、途端意見をひっくり返したのだ。周囲を囲む男達が戸惑うのも当然の事と言える。燐とは言うと、まさか了承を貰えるとは思っていなかった故に驚きを隠せない様子で食い入る様にメフィストを凝視していた。


「えっ、いいのか!?」

「但し貴方が選んだ道は荊の道。それでも進むとおっしゃるのならば」


「…俺は」


言葉を区切り、燐は静かに息を吸う。今なら祓魔師になると言ったことを撤回する事も可能だ。祓魔師の道を進むのは容易ではない、特に燐の持つ悪魔の血は、何より其の道を阻む障害となり、周囲を恐怖に陥れる。数々の壁を乗り越える必要がある、過酷な道。


「もう人間でも悪魔でもない。…だったら」


それでも燐は自分の意志を曲げる事は無いのだろうとは感じていた。何故なら、燐は獅郎の息子だからだ。


「祓魔師になってやる!!」


力強く声で燐は言えば、メフィストは忽ち笑みを深めると、被っていたシルクハットを目深く被り直して口角を釣り上げ、片手を上げて周囲を取り囲む男達に撤退の合図を出せば、男達は戸惑いながらも其の場から一瞬にして姿を消す。其の場に残ったメフィストは燐の目を真っ直ぐと見て、くるりと傘を一回転させた。


「わかりました。それでは翌朝、8時に修道院に迎えに来ます。其れまでに荷造りだけはしておいて下さい」

「…わかった」

「では翌朝に」


頷く燐に満足そうにメフィストは傘を傾けると続いて視線を燐からへと移し、にんまりと笑みを深める。そんなメフィストを無表情のままが見つめ返したならば、メフィストは楽しそうに不気味に笑って尋ねた。


「貴女はどうしますか?さん。勿論、貴女の事も藤本神父から聞いていますよ。…色々と」

「………。」

「?」


何も知らない燐が首を傾げるのは当然で、メフィストはわざと燐が不思議に思う様に意味深な言い方をしたのだろう。しかしに動揺する様子はない。元々自身がどういった存在であるかがは今更隠すつもりが無いからだ。


「成る程…わかりました。貴女が望むのであれば、奥村くんと同じ環境を用意しましょう。さあ、どうしますか?」


挑発に乗る様子を見せないに、其れが如何に無意味なものかを察知すれば、メフィストは一人納得し、片手をへと差し出す様に伸ばすのだ。勿論、が其の手に己の手を重ねる事は無い。


「聞かなくても分かってるんじゃないの」

「否定はしませんが、念の為です」

「そう」


雨は降り続き、未だ未だ止む様子すら感じさせない。雨に長時間濡れた身体はすっかりと冷え切っており、早急に身体を温めなければ風邪を引くだろう。は其の時、初めて身体の力を抜いた。何時でも動けるようと身体中を駆け巡らせていた緊張感が消えたのである。しかし、警戒だけは怠らず、は静かにメフィストに言うのだ。


「行く」

「わかりました。それではさんも翌朝に」


ウィンクを残し、踵を返したメフィストは獅郎の墓に祈りを捧げる事もせず去って行く。残されたと燐は暫し沈黙のまま、其の場から動く事は無く、言葉を交わすことも無く時間が流れて行く中、唯々立ち尽くしていたのだが、唐突にによって沈黙は途絶えさせられるのである。


「燐」

「…何だよ」

「帰るよ。風邪引く」


徐に燐の腕を掴み、は歩き出した。水溜りを派手に踏み、泥水が跳ね返るがすっかり汚れてしまった靴や喪服は既に汚れてしまっていて、今更衣服の汚れは気になどしない。燐は腕を引かれるがままの後へと続き、二人は修道院に向かって歩を進める。其の間、二人の間に会話は無く、代わりに雨音が兎に角良く響いた。










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