外灯も無く、無駄に広い庭は薄暗い。大きな岩の上に腰掛けて弁当を箸で摘む燐の隣で黙々とも弁当の中身を口の中へと含んだ。出汁の効いた濃すぎず薄すぎずの絶妙な匙加減の深い味わい。喉の渇きを覚えて貰った缶ジュースへと手を伸ばせば、其の商品名とロゴに蓋を開ける手が思わず止まった。
「……い…いやー、お弁当おいしいなぁ。ネッ」
「…それはいいんだけどさぁ。お前遠くね…?」
「えっ、えー?そう?」
会話する燐と志摩は、互い向き合って同じ弁当を突いているものの、其の間には異常な程に距離が開かれている。志摩は勝呂や子猫丸の様に立ち去りたかった事だろう。けれど、結局タイミングを見失って居ざるを得なかったとはいえ、こうして残って此処で共に食事を取る志摩にほんの少しだけ、は感心するのだ。これが勝呂や子猫丸だったら空気等気にせず迷わず立ち去っていただろうからだ。
「お前も俺にビビッてんだろ!!」
「ハハハハハ…いやいやいや、ビビッてへんよー!まー、強いて言えばメンド臭いのが嫌いなんや」
変なしゃっくりをしながら燐は据わった瞳で志摩に声を荒げる。其れを汗を滲ませながら引き攣った笑みで受け答えする志摩を横目には缶ジュース、改めアルコール飲料を口にした。喉越しの良い冷たい炭酸。思わず一気に飲んでしまう程に身体は水分を求めていたらしい。燐の傍らには同じデザインが施された缶があり、燐は相当酒が弱い事が判明した。もう暫く、酔った燐が志摩に絡むのを傍観している事にする。志摩は既に相当燐を面倒臭がっている様だった。
「メンド臭いのが嫌いぃー?ダッセ!まー、お前ってカッコ悪りィもんな」
「ん!?………今…俺カッコ悪いゆうた?…聞き捨てならんな!?俺はカッコええことで有名な男やで」
「はぁ、お前が?あっはははははは!!あはははははは!!…ヒッコ、うはは」
「笑いすぎやろ!?」
ケラケラと、何がそんなに可笑しいのか陽気に燐は声を上げて笑う。頬はすっかりと赤みを差しており、笑い上戸と化した燐を目を引ん剥いて志摩は全力で指摘するのだが、燐は笑い続け、志摩は異様な目で燐を見るのである。
「いーか、俺のカッコイイ奴ランキングではお前はこの辺だ」
空になった米粒一つ残されていない弁当を置き、燐は己のポケットの中から小さく折り畳まれた用紙を取り出す。俺的カッコイイやつランキングと書かれた其れは1から6まで順位付けがされており、其の中に志摩の名前は無い。一番下、クロから雪男に訂正された6位の下を指出す陽気な表情の燐に志摩は戸惑いの声を上げるのである。
「クロより下!?」
「いや…選外だ」
「へぇえ!?」
動物よりも下だという事実に困惑する志摩に、燐は静かに指先を下へと向けて選外、ランキングの記された紙より下の何も無い空間を指差す。ちなみに言うと1位には獅郎が、2位にはの名が記されていた。
「ひどいわ!」
「しょうがない。これはれっきとした、真実」
弁当を置いて勢い良く立ち上がり、地団駄を踏んで叫んだ志摩に燐が悟りを開いた様にやけに冷静な声で言葉を区切りながら答えれば、睨む志摩と眠たげに半目の燐との間に僅かな沈黙が訪れた。刹那、志摩は勢い良く吹き出し顔を覆ってしゃがみ込むと、何事かと燐は片眉を吊り上げ、は酒を飲むのである。
「…なんやこれ…プクククク!なるべく関わらんとこ思てたのに、いつの間にやらフツーに喋ってもーてるやんか!ハハハ!!」
笑いながら独り言を、肩を震わせる志摩に燐は僅かに首を傾げる。クロは燐の膝へと移動して擦り寄り、は残り少ない弁当を味わう。其の横顔がほんの少し、柔らかく見えるのは弁当が美味だからか、其れとも。
「関わらんようにする方がメンド臭いわ、コレ。やめややめ!!」
「…そーだぞ、あきらめろ。どーにもなんねーんだから。笑っとけ笑っとけ、ふはは」
「ハハハ…そーするわ」
志摩の話を、酔いで上手く思考が働いていない燐には理解出来ない。変なしゃっくりを上げながら、時折体を上下に揺らしながら、全く楽しそうには聞こえない笑い声を上げ、同調する様に志摩も空笑いをするのだ。そして肩の力を抜いて眉を下げれば、一度浅く息を吐いて苦笑を浮かべるのである。
「…坊にしろ子猫さんにしろ、皆マジメすぎるんや」
「…お前はカッコ悪すぎるんや」
「なんで関西弁!?」
両手を軽く広げ、頭上にクロを乗せた燐が言葉こそ関西弁なものの、何処かイントネーションの違う偽関西弁を披露すれば、流石は生粋の関西人なだけあって素早い突込みが入れられた。
「それより奥村くん、さっきから様子可笑しない!?」
「酔ってるね」
「…んお?」
止まらぬしゃっくり、暑いにしても赤過ぎる顔、ゆらゆらと揺れる身体に志摩が常々抱いていた疑問を言葉にすれば、燐の傍で佇むが酒を片手に燐の頭を軽く人差し指で小突く。軽い衝撃に間抜けな声を上げて燐は焦点の合わない瞳をへと向けると、そのまま空を見上げて小さく笑うのだ。
「これ、ジュースじゃないし」
「えー…。先生、自分のと間違えはったんやろか」
「うへへ…星いっぱいだなー…うえへへへ」
確かに田舎なだけあって綺麗な星空が広がっているものの、其れは決して笑いの種にはならない。完全に出来上がっている燐を至極面倒臭気に見やって、はクイッと缶を傾けてひんやりとした炭酸のアルコールを喉に流し込むのだ。
「ってさんも飲んでるう!!」
「燐みたく酔わないから問題無い」
「そういう問題やのおて未成年やん!」
「精神はとっくの昔に成人済み」
眉を八の字にさせて慌てる志摩を一蹴し、はまたアルコールを摂取する。暑い真夏に酒は最高だ。欲を言えば肴でもあって、空に満月、花火でも打ち上がろうものなら文句の一つも無い。
「…奥村くん寝てない?」
「………。」
恐る恐る、燐に近付きはしないものの指差して呟く志摩に横目で燐を見やれば、鼻提灯をぶら下げて寝息を立てる真っ赤な顔をした燐が居る。流石に外で寝かす訳にもいかず、渋々は燐の肩を掴むと、ゆさゆさと其の身を優しく揺らすのだ。
「燐、起きな」
「んーーー…」
「起きろ」
揺さぶる手は次第に激しさを増し、燐の頭は激しく上下左右へと揺れる。しかし唸り声や眉間に皺を寄せつつも一向に目覚める気配の無い燐に痺れを切らしたは、一度強く燐の頭部を引っ叩くのだ。
「起きないね」
「そ、そやね…」
叩かれた、否、殴れた燐の身体は岩の上から落ちて土の地面へと落ちて倒れる。が、鼻提灯は割れるどころか大きさを増すばかりで燐は目覚める事は無い。思いも寄らぬ暴行に顔色を一変させて青褪める志摩だが、此の場には志摩と同じ感情を抱く者は居なかった。
《りん、ねちゃった!》
「置いて帰ろうか」
「え!!?」
燐の身体の上でうろうろとするクロは、燐を指差して言葉を話し、其れに対しては答える様に結論を口にする。勿論連れて帰るものだと思っていた志摩は驚愕の声を漏らすのだが、は気にした素振りは無く、志摩からすればクロは唯愛らしい鳴き声を上げるだけだった。
《おれ、ここでりんみてる!》
「じゃあ安心。何かあったら呼んで、直ぐ戻るから」
《うん!でもだいじょうぶ!おれ、りんまもるよ!》
「そっか、頼もしいね」
「え?え?…え?」
にゃあ、と鳴く黒猫と、まるで会話している様な口振りで話す。そんな一人と一匹を交互に見ては戸惑う志摩を、は一瞥するとあろう事か本当に燐を置き去りに旅館へと向かって歩き出すのだ。
「ホンマにほって帰ってええん?」
「クロが付いてるから大丈夫」
慌てての後を追いかけ、志摩はの隣に並びながら後方、すっかり夢の中の燐を気にしながら問い掛ける。其れをはっきりと断言してみせるに志摩は過ぎった一つの結論に辿り着くと、ほんの少し緊張しながら顔色一つ変えないの横顔を見つめた。
「悪魔の言葉分かるん?」
「まあね」
隠しもせずに即答される返事。以前なら適当にはぐらかしていただろう事実は、最早隠す必要が無くなった故に簡単に告げられるのだ。
「さん、死神なんやんな?」
「そうだね」
「何年くらい生きてるん?」
「250年くらい…かな」
「うわあ…」
不意に浮かんだ疑問を躊躇無くぶつければ、簡単に返ってきた。長生きだろうとは踏んでいたものの、実際に聞かされれば其の年月が余りにも長く思わず志摩は口籠るのである。
「老けへんの?」
「老ける。けど、遅い」
死神の肉体は、人間のものとそう変わらない。怪我をすれば血も出るし、瘡蓋だって出来る。風邪で熱を出す事も有れば、子を授かる事もあり、死神と言えど死も訪れるのだ。生に死は必ず付き物なのである。生と死は共存しており、其処に不平等は無い。しかし、其れでも死神は人間とは違うのだ。違いは幾つもあれど、肉体の面で言えば老化が非常に遅い事が挙げられた。何れ皆等しく迎える死の運命、其処に辿り着く迄の時間は、永い。
「これから先、ずっと其の姿のままなん?」
考えなかった訳ではない。この身体はちゃんと“人間らしく”成長するのだろうか。赤子が子供に、子供が大人に、大人が老人に、人間の基準に則って周囲の人々と同じく老いて行くのだろうか。
「さあ…どうだろうね」
結論は今の段階では出ていなかった。調べる方法も、浮かぶ推測にも確証は無かった。故に出て来る返答はあくまでも曖昧なものだ。
「今の所、ちゃんと成長してるみたいだけど」
初めて此の世界に来た時は幼女そのものだった肉体は、歳を重ねるごとに少しずつ成長した。背や髪は伸び、平たい胸には膨らみが、寸胴だった腰回りも引き締まり、年相応の成長を見せる。しかし其れが、其の成長が何時まで続くのかは分からないのだ。もしかすれば、死神として死んだ時の、あの肉体年齢を迎えた時、此の身体の成長も止まるのかもしれない。はたまた、追い越して老婆となるのかもしれない。未来の事を、に知る手は無かった。
「そのままやったら、ええなぁ」
志摩の零した言葉に思わず足が止まった。意外と驚いている自分が其処に居て、反射的に振り返り志摩を見る。すると志摩ははにかむように小さな笑みを浮かべたなら、あっけらかんと想像もしなかった言葉を続けたのだ。
「一人だけ時間止まってしまうんは寂しない?」
には無かった其の発想に、無言で志摩を見つめれば、途端、俺変な事言うた?と苦笑する志摩には小さく息を吐く。
「え、なんで溜息?」
「いや、何でもない」
言われてから気付かされる。皆と共に歳を重ねたいと思っている自分に。其処に、燐や雪男だけで無く、今まで知り得た者達も含まれている事を。其の事実は獅郎を失ってから燐と雪男を中心に生きてきたからすれば確実な変化と言えた。
「そうはぐらかさんと!」
「何でもないったらない」
「絶対なんか思ったやん。なあなあ、教えてーや」
「しつこい」
にやりと笑って詰め寄る志摩に冷たい視線を浴びせ、歩を再開させ旅館に向かって足を進める。後ろ始終教えろと喚く志摩は一切無視だ。そうこうしてる間に見えた旅館、暖簾を潜り敷地内に入って玄関口に入れば、此方に背を向けて立ち尽くすシュラの姿を見つけた。
「はにぇ!?ジュースと間違ってチューハイ渡しちった。………うん、…まぁ…いっか…?」
「ダメだよ」
「…あれ、ダメか…!………あれ、なーんでが此処に?」
ビニール袋の中身を見下ろし、己の過ちに今更ながら気付いた様子のシュラの独り言は、の耳にはしっかりと届いており、指摘する。思い掛け無い第三者の否定にはっと振り返るシュラは、其処に佇むを見ては首をこてりと傾げるのだ。
「燐はどうした?」
「外で寝てる」
「外でって…置いてきたのか?」
「クロが見てる」
シュラの視線は一度志摩へと移るが直ぐにへと戻り、傍に居る筈の燐が居ない事に更に首を捻る。出張所内、若しくは近辺とあって、一人にしておくのに問題は無いだろうが、其れでもとシュラは眉を顰めるのだ。
「こき使われて疲れてんのも分かるけど外で寝るって…獅郎にどういう教育されてきたんだよ」
「シュラが渡したチューハイで潰れて寝た」
「…まあまあ!夏だし外で一日くらい寝ても風邪引かないにゃあ!」
あはは、と強張った表情で笑い飛ばすシュラを冷めた目つきで見やれば、居心地悪そうに目を彷徨わせ、シュラの頬に冷や汗が浮かぶ。そして徐にビニール袋から上等そうな未開封の瓶を取り出すと、躊躇いなく其れをへと突き出すのだ。
「ほ、ほら!これやるから怒るなって!」
「別に怒ってないし」
「まあまあ!貰っとけ!」
拒絶するに強引に受け取らせた其れは、此の地で作られた地酒であり、今晩の楽しみにとシュラが取っておいた品である。の返事を待ちもせず、シュラは旅館内へと「おやすみにゃあ」と言葉を残して足早に引っ込むと、取り残されたは手の中の地酒を見下ろし、同じく困惑した様子で立ち尽くす志摩を横目に見るのだ。
「行くよ」
「えっ」
「飲むの付き合いなよ」
間抜けな声を漏らした志摩を一瞥し、歩き出したは、まるで付いて来いと言わんばかりの足取りで、戸惑いながらも志摩は其の後を追う。
「付き合えて…酒!?」
「これが水にでも見える?」
「いやあ…見えへんけど…」
「その年なら飲んだ事くらいあるでしょ」
未だ渋る志摩に有無を言わせず、は旅館内の己の部屋へと向かって歩く。死神だから、配慮された一室は広く、そして同室者は居ない。燐と同様、少し離れた所にある京都に居る間の自室の扉の鍵を開ければ、電気の付いていない暗い和室が扉の向こうから見えた。
「それとも、あたしの酒に付き合えないって?」
不敵な笑みに、着いた部屋。此処まで来て断れる男、志摩では無かった。
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