「じゃあ行こうか。船はあっちに停めてあるんだ」

「待って」


北の方角を指差し、ウィルは歩を進めた。しかしは一歩も動かずそれを断るとウィルは頭上にクエスチョンマークを浮かべて立ち止まる。は目を伏せると躊躇い静かに言葉を繋いだ。


「荷物を…取りに行きたい」



















「こっちよ」

「…うぉ…」


が先頭を切り、後ろにウィルが付く形で二人は島を歩いていた。奥へ奥へと島の中心に向えば向うほど異臭はきつくなっていく。ウィルはそろそろ耐えれなくなってきたのか口元を手で覆うような素振りをちらほらと見せた。


「我慢できないなら鼻摘んだら?」

「…そうする」

「もう着くから」


が呆れながらもウィルにそう言えばウィルは暫し悩んだ末、親指と人差し指で自身の鼻を摘む。は路地を右へ、左へと曲がりくねった道を進む。その間にも道端には絶えずゴミが転がり、時折人間も倒れていてた。最早見慣れた光景には何も言わず視線をそちらに向けることも無い。しかしウィルがその一つ一つ溢れたゴミや倒れた人間を見ては悲しげに眉を下げていた事を正面をずっと見ていたは知ることは無かった。


「ここ」

「…あれ、家?」

「そうよ」


角を曲がった先にあったが暫くの間世話になっていた家。それを家だと当たり前のようには指差したのだがウィルにはとても其れが家には見えなかった。一見只のゴミ山とも思える家に向っては真っ直ぐ近寄っていく。ウィルは少々驚きながらも後へと続いたのだが―――すぐ視界の端に映った影に足を止める。ウィルの足音が止まったことに気付いたもすぐに足を止めて振り返った。


「昨日亡くなったのよ」

「………、」


ウィルが見つけたものは女性の遺体だった。顔中痣だらけにし、目を大きく見開き泡を吹いた状態という酷い有様である。明らかに餓死ではなく、他者に依る死亡が明らかな其れにウィルは静かにその場で膝を付くと羽織っていたジャケットを脱ぎ女性の顔へと被せた。


「酷い事を…」

「下劣よ。低俗で…忌々しい」


吐き捨てるようにそう呟いたの声はとても苦しそうな声だった。ウィルは悟る。きっとはあの家の中からこの女性がどんな目に遭ったのか見ていたのだろうと。これ以上深入りするのは得策ではないと判断し、ウィルは立ち上がりへと歩み寄る。


「荷物ってどんなの?」

「大したものじゃないわ」


それ以上は語らず、ウィルから視線を外すと家へと再度向き直る。少し離れた所では老婆がまだ横たわっていた。生きているのか死んでいるのかまではの場所からは判断は出来ない。下唇を噛み、は込み上げて来る気持ちを何とか抑え込むと布を捲り上げて家の中へと逃げるように入った。家の中は相変わらず狭く、より一層臭いが篭っており臭う。しかし既に嗅ぎ慣れたものではぐるりと周囲を見渡した。物らしい物は殆ど置かれていない家だったが元々置かれていた位置から物が幾つか床に転がっている所から見て、黒髪の男と口論していた時にでも老婆がにランプを投げつけた様に、黒髪の男へ向かって物を投げつけたのだろう。そして部屋の隅にはお目当ての物を見つけた。身体の他にがこの世界に持ってきていた鞄と参考書の入った紙袋だ。異世界から来た人間が珍しいように、異世界から持ってきた物もきっと価値のあるものなのだろう。中には財布や化粧品、スマートフォン等の大したものは入っていないが、財布の中にはこの世界では使えないお金が入っており、学生証や保険証等、免許書等の身分証明書が入っている。自分の存在を特定し、自分の身を危うくしてしまうかもしれないものを老婆の所へ置いていくのは恐ろしかったのだ。老婆のことである、必ず悪用するに違いないとは確信していた。


「(入るかな…入ればだいぶ楽なんだけど…)」


鞄の中には他にも筆記用具や教科書等が入っていて他の物を入れる余裕があまり無かった。参考書の入った紙袋が入るように、中身を縦に横にと整理する。漸く空いたスペースに参考書を詰め込めば鞄はパンパンに膨れ上がったが、チャックも無事に閉まり問題はなさそうだ。は再度家の中を見渡す。短い時間だったとはいえ濃厚な時間だった。しかし此処には思い入れるものは何もなかった。もしも自分が売られる為に此処で生かされていたと知らないままだったらな、こんなに汚く臭う家でも愛情を持てたであろう。


「…行くか」

「まあゆっくりしていけよ」

「急ぐことなんかねぇだろ?」

「行く宛なんかねぇんだからさ」


鞄を肩に下げ、立ち上がり際にぽつりと呟いた言葉は誰かに向けて言ったわけではない只の独り言だった。にも係わらず返って来た三つの声は聞き覚えのある男の声。は勢いよく振り返り大きく目を見開く。いつの間にか背後に立っていた男達には顔を真っ青にするとそのまま床に尻餅を付いた。腰が抜けたのだ。全身に鳥肌が立ち、心臓が早く鼓動する。それが耳に付いてとても五月蝿かった。


「腰抜かすなんて、そんなに俺たち良かった?」

「島中探したんだぜ?どっかでまだ生きてんだろーと思ってよ」

「前の女は喚くわ抵抗するわで全然気持ち良くなくってよ、ついつい殴り過ぎちまって死んじまった!」









「お前は抵抗なんてしないよな?」









は後退った。海賊の男達から逃げるように。男達は卑しい笑みを浮かべ手を伸ばしてくる。背中が壁にぶつかった時、男達はより一層笑みを深めた。フラッシュバックする記憶。頬に涙が伝う。男達の笑い声が響く。咄嗟にはウィルから預かった銃を思い出した。今この状況で唯一自分を守る武器となる銃の存在を。銃はスカートのポケットの中にあったが、は銃に手を伸ばすことはなかった。否、伸ばせなかった。目の前の男達に依る恐怖が身体中を蝕み身体が言う事を聞かないでいたのだ。


「(あたしは…、こんなにも弱い…)」

「じゃ、この前の続きな」


男がの肩に触れた。瞬間は叫んだ。鼓膜が破れるのではないかと言う程の絶叫である。目の前をぐるぐると廻る記憶。恐怖の映像が凄い速さでぶり返り流れるのだ。は泣いた。両手で顔を覆い、前のめりになって泣き続けた。の号泣の声だけが家の中には響いていた。海賊の男達は積み上げられた家の壁となっていた鉄骨等のゴミを突き破り、家の外で泡を吹いて其々倒れていた。がなかなか家の中から出てこないことに不安になっていたウィルがの絶叫を聞きつけ瞬時に家の中へと助けに入ったのである。狂ったように叫ぶに怯んだ男達を背後から殴り蹴り、ぶん投げたのだ。家の中にはとウィルだけだった。周辺で意識があるのもとウィルだけだった。目の前に恐怖はもう無いというのには泣き止む様子は無い。時折嗚咽から過呼吸を引き起こし苦しそうに呼吸をするにウィルは、そっとその背に触れようと手を伸ばすがはウィルが触れてる前に伸ばされた手に気付くとはっきりと「いや!!」と声を荒げた。暫くしては言葉を繋ぐ。頬を伝う大粒の涙は止まらない。


「…触らないで…、」


御願い、と懇願するように頭を深々と下げる。ウィルは掛ける言葉が見つからず口を閉じた。この異常な反応に、自身が予想していたよりもがもっと酷く辛い思いを此処でしたのだと悟ったのだ。震え続ける身体、髪と髪の間から微かに見える肌は血の気の引いた真っ青な色。今、に掛けれる言葉をウィルは何一つ持っていなかった。


「海賊なんて、だいきらい」


掠れた声で呟いたの声にウィルは息を呑む。重く重く、恨みの強い感情は悲しい色で呟かれた。










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