図書館で情報収集に勤しんでいたをウィルが迎えに来たのは、あれから1時間後のことだった。1時間では結局殆ど読むことが出来ず収穫が少なかったが、大海賊時代到来の経緯とそれに係わった海賊王とひとつなぎの大秘宝の存在。そして地図からこの世界はグランドラインとレッドラインによって東西南北に海が区切られていることを知った。4つの海、東の海、西の海、南の海、北の海。それを忘れないように頭に叩き込む。4つの海の存在を知らないということは、即ち現代で言うと太平洋は大西洋を知らないようなものなのだろう。それはかなり不味い。早々に存在を知ることが出来て良かったと酷く安心したのは、ほんの数十分前の事だ。そして同時に現状、一番危険な海に居ることを把握したは、ウィルに頼み込めば東の海に移動してくれないだろうかと考え、あとで相談してみることを決めた。そろそろウィルが迎えに来るだろうと予想し、本と新聞を元の場所に戻す。結局新聞を読むことは叶わなかったが、新聞の一面に無邪気な笑顔をした麦わら帽子の少年の写真が見え、この少年はどうして一面を飾っているのかと気になったが結局丁度その時ウィルが迎えに来た為に内容を読むことは出来なかった。


「お待たせ。暇だった?」

「ううん。全然」

「そこまではっきり言われると何か傷付く」

「だってたった一時間だけじゃない」

他愛ない会話をしながら二人並んで船へと戻る。道中、美味しそうなフランクフルトを見つけ、一本ずつ購入すると其れを頬張りながらまた歩く。口腔内に広がる旨みにの表情は緩くなる一方である。


「ねぇ、ウィル。お願いがあるんだけど」

「ん?カジノは駄目だぞ」

「違うわよ。行きたいけど、この島カジノなさそうだし。…じゃなくて、あたし東の海に行きたい」

「東の海?故郷そっちにあるの?」

「う、うん…」


二つ返事で了承してくれるものだと思っていた為に、まさかの質問返しに思わず胸がドキリとした。反射的に頷いてはみせたものの、その嘘は見破られてしまっただろうか。フランクフルトを頬張りながら「んー」と考える素振りを見せるウィルの表情は相変わらずのもので何を考えているのか分からない。心臓が波打つ音がウィルにも聞こえてしまうんではないかというくらい五月蝿かった。


「まだこっちでやることあるからなぁ…。全部終わったら一緒に東の海に行くか」

「…え、いいの?」

「故郷なんだろ?東の海が。今すぐとは言えないけどいずれは連れてってあげるよ」


そう言った時のウィルは満面の笑みだ。本気で東の海が故郷であると信じているらしい。「そっち勤務になったらラッキーだよなぁ。頼んでみるか」なんて意味の分からないことを呟いてはいるが、にとってはこの際どうだってよかった。東の海に行けるのだ。こうもあっさりと、このお人好しのお陰で。今までの様子や、今の反応からして、は確信を得た。ウィルはどうやらのことを一切疑っていないらしい。見ず知らずの他人であり、捨てられていた人間を。こうも簡単に信じきってしまっているようだ。人を疑うことを知らないのだろうか。の口元が思わず引き攣る。好都合といえば好都合なのだが、もう少し他人に警戒心を持った方が良いのではないかと思ったのも事実である。とはいえ、はその助言をウィルにするつもりは全くもって無いのだが。


















「何か鳴ってる?」

「電伝虫だ」


船に戻った丁度その時、船室の方から何やら電話の着信音のような音が鳴った。ウィルは早足に船室へと入って行き、残された甲板では首を傾げていた。電伝虫とは何なのだろうか。付いて行こうか、悩みつつも結局遅れてそっと船室の扉を少しだけ開け、こっそりと中を覗く。


「―――――!?」


部屋の中では、置物だと思っていたカタツムリが顰めっ面で喋っており、其れと会話するウィルの姿があった。余りにも衝撃的で声が出そうになり、咄嗟に両手で口を押さえる。この世界での電話なのだろうか、また図書館に行ける暇があれば調べることを決めて、隙間から引き続きウィルの様子を窺う。話の内容は殆ど聞こえず分からなかったが、会話は直ぐに終わったようでウィルがこちらに振り返った。こっそり見ていたことは気付かれていたらしい。


「悪い、。仕事入った!」


片手を挙げて困った顔ではあるものの笑顔でそう突然言ってのけたウィルに、は「ああ」とただ頷くことしか出来なかった。自分でも反応が薄かったとは思う。実際ウィルは「反応うっすいなー」なんて唇を尖らして拗ねていた。今まで2ヶ月近くウィルとは行動を共にしてきたが、はウィルが働いている姿を見たことがなかった。朝共に朝食を取り、昼まで体術の稽古。昼食を取った後は射撃の修行をして、交替で入浴を済ませれば共に夕食を頂く。ちなみに食事の準備も片付けも全てウィルが負担する役割である。それから寝るまでは他愛ない雑談をして、夜には其々の寝床で就寝。そんな日々を今日この日まで繰り返してきたのだ。働いている姿どころか、働いている影すら見たことが無かったのである。本当に働いているのだろうか?もしや親の脛を齧っているお坊ちゃまなんだろうか。そんな思いがずっと廻っていたのだが、ウィルの口から仕事の言葉が出て来た時、は酷く安心した。あまりにも不貞腐れて一向に回復の兆しがないウィルに、弁解するようにがその秘めていた思いを伝えるとウィルは目をまん丸とさせ、そして噴出す。


「俺、無職で親の脛齧ってるような奴だと思われてのかよ!」

「だって仕事してるようには見えなくて…。仕事してる影も無かったから」

「あー…。まあ、最近は仕事してねぇな」

「有休2ヶ月もぶっ通しで使えるなんて聞いたこと無いよ、あたし」

「有休駄目だって言われたから無断欠勤ってやつだよ」

「………。」

「ごめんごめん!冗談だって!」


軽蔑した瞳を向ければ慌てて顔や手を左右に振るウィル。まるで反応が子供だと思いつつ、は視線で訴える。事実を話せと。ウィルはバツが悪そうに暫く黙り込み、頬を人差し指で掻いた。そしてゆっくりと口を開く。


「ずっと休みなしで仕事してたから、気晴らしに休めって上司に言われて」

「そうなの。…何で無断欠勤って嘘言ったの?」

「いや、嘘って言うか…。1ヶ月は本当に休みだったんだよ」

「残り1ヶ月は?」

「…あー…。」


歯切れの悪い言葉に、泳ぐ視線。の蔑む視線耐え切れず、ウィルは漸く観念したらしい。真実を白状する為、重く閉ざされた口をゆっくりと開いた。


「む、」

「む?」

「無断欠勤…」

「………。」

「ご、ごめん…」

「仕事行きなさいよ」

「明日行って来ます!!」


背筋をピンっと伸ばし、御丁寧に敬礼までして返事をしたウィルには小さく噴出して笑った。ウィルは思わず目を丸くする。今迄笑みを見たことはあったが、その笑みは何処か硬い作られたような微笑みだったり、困ったような歪んだものだった。こうして無邪気な柔らかい素の表情を、自分に見せてくれたことがなかったのだ。不意打ちとも言える其れに、思わずウィルは頬をほんのりと染めてそっぽ向くように視線を外す。眉間に少し皺を寄せ、難しい表情でウィルは心の中で唸った。


「(本当のこと、言えるわけないよなー…)」


有休1ヶ月間続いていたのは本当の事だった。残り1ヶ月の今日まで無断欠勤していたことも本当の事である。実のところ、ウィルは1ヶ月も休暇を取るつもりは毛頭なく、一週間目にして復帰を決意していた。職場の拠点に向う航路の途中、何気なく視界に映った島があった。以前から悪い噂の耐えない名も無き島である。一度も訪れたことも無かったウィルは、その日何気なく島に寄り道したのだ。島は噂通りに荒れていて、何処を見ても目を逸らしたくなるような景色が広がっており、そろそろ引き返そう、そう思って踵を返した時に聞こえてきた誰かの絶叫。甲高い声からして女であるのは間違いなく、ウィルは咄嗟に声が聞こえてきた方へと駆け出した。現場は意外にも近くで、薄汚れた若い少女に男が今まさに容赦なく殴りかかろうとしていたのだ。刹那、引き抜いた自身の相棒。引き金を引いたのは考えてそうしたのではない。身体が勝手に動いていたのだ。ただ純粋に彼女を守ってあげたかった。


「(妹が居たらこんな感じなのかな)」


目の前で不思議そうに首を傾げるの表情はいつも通りのもので。先程の笑みは其処にはもうない。はウィルの想いを知ればどんな反応をするのだろうか。仕事が嫌で無断欠勤をし続けていると思っている。しかし本当は、異常な程に人や海賊に怯え、触れることすら拒絶する彼女を一人で放っておけなかったから。傍に居てあげたかったから。そんなウィルの想いがあったことを、は知らない。昨日も、一昨日も、が寝付いた後、こっそりと事務仕事をこなしていることもは知らない。ウィルの優しさ故の行動を、が気付くことはなかった。










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