それはとてつもなく深刻な事だった。


「ヤバいヤバいヤバいヤバい…」


一人、小型船の甲板で唸る様に呟く。呪文の様に繰り返し唱えるが、それは潮風と共に遥か彼方へと消えて行く。呪文を唱える少女、は深刻な悩みを抱えていた。それはそれは深刻な悩みである。


「食料が無い。お金が無い。お金を稼ぐ場所も無い。八方塞だよ…」


黒い影を背負い、甲板で膝を抱える。一人で海を航海する様になってからは追っ手等の妨害に遭い、度々島に寄る事が出来ず逃げ惑う事が多くなってはいたのだが、それでも今まで危機的状況に陥ることが無かったのは、島と島が其れ程離れて居なかったからである。その為、酷くても一日二日、食事を我慢する日がある程度で、後は食事に困る事は無かったのだ。しかし、それはもう過去形であり、食料が尽きて一週間が経過している。カジノがない島が立て続きにあった為に手持ち金は底を尽き、0。食料を買う場所も無く、食料を買う金銭も無い。まさに絶望的だった。


「カジノがある島、食料捕獲出来る島、海軍と海賊の居ない島…!!」


両手を組んで祈りを捧げる。それが無意味な行動であることは理解していてもせずには居られない。減りに減った腹は最早音を鳴らすことは無くなり、空腹であることすら良く分からなくなってきた。只、非常に身体が怠い。ついでに言うと、気分も悪い。だから前方に薄っすらと島の影が見えた時、幻覚や気の所為だと思い、認識するのにやや遅れてしまったのだ。


「ん…?んんん?」


ピラミッド型の島は、中央に川が流れる山のようなものがある。それなりに大きな島で、立てられた民家は明かりが灯され、人が多そうな島に見えた。そういう活気だった島は、大体海軍の支部の基地があるものだが、この状況下では文句は言えない。


「きたきたきたきたきたーーーー!!!」


危険は承知、リスクも高いだろう。それでもは上陸することを決意する。今、この島で食料や金銭を得なければ、元の世界に帰る前に餓死してしまう気がしてならないからだ。



















白のタイトなVネックの長袖Tシャツに、ブルーとオレンジのチェックのスキニーパンツ。足元には黒革のショートブーツを合わせ、太腿、腰、胸にホルスターを身に着ければ己の武器となる銃とダガーナイフを装備する。武器が覆われ隠れる長さの黒のロングコートを着れば、その上からベージュ色のマントを羽織り、フードの先を強く引っ張り目深く被る。準備は全て整った、一つ深呼吸をしては島へと降り立つ。


「(…人多っ)」


島はハンナバルと言うらしく、賑やかな島だった。若い年齢層が多く、至る所に炎の灯が灯っており、年中お祭り騒ぎ、といったような様子だ。人が居ない道を探す方が困難と言える程に島は人で溢れ返っており、島の形状が山の様になっている事もあってか、島には階段が多く、上下する道が沢山あった。人とぶつかってしまわないよう、気を付けながら慎重に島を歩くが、カジノらしく建物は一向に見つからない。むしろ見つかるのは酒屋ばかりだ。忘れていた空腹も美味しそうな匂いを嗅げば一撃で、一気に空腹が蘇る。


「(海軍基地も無さそう…)」


とても気掛かりだった海軍基地も、島を粗方歩き回った様子では存在しなさそうだった。少しの安堵に小さく息を吐けば、再びカジノを求めて歩を進める。マントを纏い、フードを目深く被り姿を隠したの姿は人目こそ引くのだが、今まで立ち寄った島の中でも一番無関心な反応だった。一度こちらを見るだけで、あとは何でも無かったかのように皆が視線を逸らして行く。嫌でも目立ってしまうその怪しい格好にいつも悪目立ちをしてしまっていたのだが、今回はそれ程目立っていない様子だった。嬉しい反面、妙な不安が押し寄せる。


「(つまりこういった格好をして歩く人って、少なくないってことだもんね…?)」


そういう事なのだ。決して怪しくないとは断言できない格好、それが見慣れた光景であるかのようにスルーする島の人間達。すなわちそれは、そう言った身を隠す人間が良く訪れるということである。


「(海賊…いるんだろうなぁ…)」


簡単な話だ。身を隠さなければならないような人間の大半が追われている身だ。追われるような身の人間の大半が犯罪者だ。そしてこの世界では、その犯罪者が大体海賊なのだ。は溜息を吐く。


「(仕方ない、生きる為だし…)」


は周囲を見渡す。考えていても仕方が無いのだ、それなら一刻も早く目的を達成し、速やかに島を離れる方が得策だろう。しかしだ、上陸してから暫く歩き続けたのだが、目的のものが一向に見付からない。どれだけ島中を歩き回れどカジノらしき建物が無いのだ。カジノが無ければ稼げない、稼げないと食事にあり付けない。最悪の事態である。そんな最悪の事態に陥った未来の自分を思い浮かべていた時、道の角を曲がった所で何かとぶつかった。


「っ、」

「あ、ごめんなさい」


ぶつかった相手は背の高い青年で、その顰めた表情に思わず反射的に謝る。ぶつかった瞬間、バチッと乾いた音が鳴ったのだ。静電気である。今でも気を抜いている時は静電気程度の軽い電流を垂れ流している事の多い。人とぶつかった時などは、こうして度々、相手か静電気で顔を顰める事は多かった。


「いや…」


そう言った青年を見上げては小さく息を呑む。纏う雰囲気、その眼力、強い人だと瞬時に悟る。そして頬から鼻にかけて入れられた刺青に声が出そうになった。顔に刺青等、痛々しい。明らかに堅気の人間ではない風貌に、必要以上に関わるつもりも毛頭無かったので何事も無かったかのようにはその場を後にしようと軽く会釈し、その場から離れようとした。しかし、擦れ違い様に腹が盛大に鳴り、青年は驚いたような様子でこちらを見て振り返ったのだ。は息を呑む。切実に穴があれば入りたい心境だった。


「…腹減ってんのか?」


後方から戸惑うように掛けられた声には口を一文字に閉ざしたまま開かない。暫しの沈黙が二人の間に続き、は意を決すると後方、青年の方へと振り返った。青年は呆れたような、困惑しているような、そんな複雑な表情をしていた。


「あの、カジノってこの島は無いんですか?」

「…無一文か」


青年の呟いた一言が、これでもかという程にグサリと胸に突き刺さる。それは今のにとって強烈な破壊力を持っていた。青年は被っていた黒のハットを深く被り直す。


「着いて来いよ」


怪しさ満点、しかも力を持つ強者。恐れるに十分値する青年だったが、それ以上に良く見れば顔立ちも良く、良い低音ボイスの所謂良い男だった。もしかすれば食事にあり付けるのではないか、そんな細やかな希望を持って青年に頷く。もしも万が一襲われるような事があれば逃げてしまえば良いのだ、確かに腕は立つのだろうが、それでも覇気使いではなさそうに見受けられる。覇気使いではないのなら、自身がロギア系の能力者である限り攻撃は弱点を衝かれない限り先ず効果は無い。勝てる見込みは無いかもしれないが、それでも逃げるだけなら不可能ではない。今まで何人もの強者から逃げてきただ、逃げることに関しては妙に自信を持っていた。



















青年は特に何か話を振って来るわけでもなく、も望んで話そうともしなかった為、二人の間には全く会話と言う会話が無かった。ただ先を歩く青年の後ろを一定の距離を保って続いて歩く。嫌でも身体を動かす日々が続いていた為に、以前に比べて体力もそれなりについていたので、途中で上った長い階段はそれ程苦痛では無かった。階段の上りきった先、細い脇道を通った先に、ひっそりと隠れるようにバーがある。小さな看板だけが掲げられ、薄暗く細い道に開かれた店は、知る人のみが来店するような店に見えた。


「…分かってると思うけど、本当に1ベリーだって持ってないよ」

「金の事なら気にすんじゃねぇよ。どうせタダ飯だ」


青年の言葉に余計に意味が分からなくなる。タダで食事を摂れるような店があるはずがないのだ。それも、目の前にある普通に営業された店では特にだ。しかしの気も知らず青年は迷わずバーの扉を開けると、一歩遅れても店内へと入る。広々とした空間に、所々席にはむさ苦しい男達が酒を飲み交わしていおり、そんな男達の脇を通って青年は店主の立つカウンターへと向かっていくと、そのテーブルに100ベリー硬貨を二枚置いて口元に笑みを浮かべる。強面の店主は硬貨に目を細めると視線を青年へと向けた。


「こっちだ」


店主は顎でカウンター内にある扉を指すと、カウンター下から鍵を取り出し扉の方へと歩いて行く。青年が店主の方へと歩み寄れば、状況を把握出来ていないは戸惑いつつも後に続くのだが、直ぐにその足は止まった。店主が扉の鍵を開けて晒された中には真っ暗な闇が広がっていたのだ。


「おい。さっさと中に入れ」

「………、」


一向に中に入ろうとしないに店主が早く中に入るよう急かす。この先に誘導されているのではないだろうか、罠なのでは、そんな不安が押し寄せてくる。その不安が湧いてくる原因は、その閉鎖的な暗闇だ。窓等の外に通じるものがない、建物の壁ですらない、まるで洞窟の様な分厚い壁で覆われた通路。そして視界の悪い光の無い暗闇。これが万が一本当に罠だったとしたなら、この洞窟内の様な空間から逃げ切れる自信がには無かった。逃げ道が無いからだ。確かに海軍基地は無かったが、だからと言って海軍が居ないとは限らない。この闇の中に息を殺して潜んでいるのかもしれないのだ。


「飯、食うんだろ?」


青年はにぶっきらぼうにそう言った。目深く被って見えない両眼を静かに閉じて意識を廻らせる。確かに食事には是非ともあり付きたい。しかし、危険な目に遭うことは避けたい。故には確認する事にしたのだ。この暗闇の向こう側を“聴いた”。賑やかな話し声、人が沢山居る。時折聞こえる罵り合う罵声は喧嘩だろうか。しかしそれ以上に聴こえて来るのは楽しげな笑い声だ。は薄っすらと目を開けると意を決して闇の中へと足を踏み出す。店主はランプに火を灯すと、それを青年に渡し、店主は店へと戻って行けば静かに閉ざされた扉。沈黙が支配する暗闇の中、手に持つランプの頼りない明かりだけが唯一の光だった。


「…何処行くの」

「何処って決まってんだろ」


青年は正面を向いたまま、の問いに答える。しかしそれはの求める答えとは違い、は眉を寄せた。真っ直ぐ延びる一本道を暫く暗闇の中歩き続ければ、突き当りに不気味な小太りな男が立っていた。ホラー映画にでも出てきそうな、不気味さを漂わせる男だ。その男の後ろには両開きの大きな扉が有る。


「ほらよ」


青年はそう言うと先程店主に見せたように二枚の100ベリー硬貨を見せれば、門番らしい不気味な男は静かに錠を掛けていた扉を開けた。此処では100ベリー硬貨を二枚見せることが合言葉になっているらしい。開かれた扉の向こうから眩い光が差し込む。その眩しさに目を細めるが、直ぐに目は慣れ、開け放たれた扉を通れば人が溢れ返った明るい場が其処にはあった。










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