サイクロンが去った後の空は清々しい程に爽やかな晴天で気持ちが良い。先程の荒れ狂った天気は何だったのかと疑問を抱いてしまう程の天気だった。空にはカモメが飛び、その鳴き声は愛しさすら湧いてくる。全身に浮き輪を身に纏う老人、ビエラとは何の話をする訳でもなく、ぼんやりと青い空を見上げて、二人の乗る木製の小さな小舟は穏やかな海をゆらりと浮かんで進んでいた。行先は麦藁海賊団の船が非難している近くの小さな島である。島が目前に迫った頃、小さな呻き小声が上がり、閉ざされていたシュライヤの瞳が薄っすらと開かれる。目を覚ましたらしい。


「冗談だろ…生きてる」

「冗談なもんかい」

「いきなり物騒な事言わないでよ」


何とも気が抜けるような物騒なワードを第一声で吐いたシュライヤは横たわったまま視線をぐるりと動かせた。小さくなるように膝を立てて体育座りをすると、その隣には全身だけじゃ飽き足らず、頭にも浮き輪を纏ったビエラの姿がある。そのビエラの格好は、シュライヤにはさぞかし滑稽に映っただろう。しかしシュライヤは笑わなかった。


「お前…何で此処に…。それに、じいさん…何だよ、その恰好」

「麦藁に無理矢理船に乗せられてね。その成り行き」

「わしも生きるのに必死でな。それにしても其処のお嬢さんと大の男を二人運ぶのは骨じゃったぞ」


ビエラがふと視線をやった方を見て、シュライヤは驚きの余り跳ねる様にして起き上がる。其処には応急処置を施され、深い眠りについた穏やかな表情のルフィが眠っていたのだ。


「麦藁!?」


その際、シュライヤは自身の腹部から滑り落ちた黄色い何かを視界の端で捕らえ、其れを見下ろす。引き千切られた無残な状態の麦藁帽子が合ったのだ。何故自分の腹の上に乗せられていたのか、少々疑問に思いながらも其れを拾い上げれば、シュライヤはふとの方へと振り返る。は肯定するように一度縦に頷けば、シュライヤは小さく溜息を付くと己の上着の下にその麦藁帽子を仕舞うように入れた。


「大した男だ。あのガスパーデを倒しちまった」

「なら俺は助ける必要なんか無かったぜ。もう生きてる意味がねぇ」


ビエラが感心する様に子供の様に眠るルフィを見ながら言えば、シュライヤは悔しそうに、しかしどこか憑き物が落ちたように穏やかな表情を浮かべて悲しい言葉を吐いた。其れが聞こえなかったはずのないとビエラは静かにシュライヤへと視線を向ける。しかし其処に緊張感が全く無いのは、ビエラが可愛らしい音を立てながら頭に嵌めた浮き輪以外の、体中に嵌めていた浮き輪を取外しにかかったからだろう。これだけの晴天で静かな海、海に落ちて沈む事など、悪魔の実の能力者でない限りまず有り得ないに等しいからだ。


「ガスパーデを倒すことが俺の生きてる意味だった。それを見事に麦藁に横取りされちまった。俺の生き甲斐、消えちまったよ」

「…わしはそうは思えんね。神様ってやつは粋なことを時々なさる」


切なく語るシュライヤには一言も発する事無く二人の会話に耳を傾けた。ビエラはまるで、シュライヤの事を知っているかのような語り口調で言葉を繋ぐ。浮き輪を脱ぎながら。


「…何の話だ?」

「お前さん背中に古い大きな傷があるな?」

「見たのか?」

「ああ、それで確信したよ。妹が居たって言ってたろ?生きてるよ」


呆然とするシュライヤに、ビエラは徐に立ち上がると、ロープに結んで海に投げ捨てていた浮き輪を引き上げる動作を始めた。透き通る水面の上を引っ張られる浮き輪が波紋を作りながら、次々と船の上に引き上げられ、ビエラは再び小船の縁に腰掛けると、最後に頭に嵌めた浮き輪を回して外しにかかる。外した際、可愛らしいキュポッと音が鳴ったのだが、誰一人笑う事は無かった。


「何言ってんだ、俺の妹は八年前に…」

「あの日わしは川から子供を助けた。三歳の女の子だ。名前だけは覚えていたよ、アデル・バスクード」


シュライヤの瞳が驚愕に大きく見開く。自然との口元にも笑みが浮かび、近付いて来た島の方から幼い子供の声が飛んで来た。皆して其の方向へと振り返れば、涙目で大きくビエラの名を叫んで手を振る少年、否、少女の姿がある。普段の服装とは打って変わり、女の子らしい白を貴重としたワンピースを身に纏った少女は、何処と無くシュライヤと似ており血の繋がりを感じさせた。


「人生は面白い。生きていればこそ、きっと良い事もあらん」


優しく微笑みを浮かべ、少女、アデルに手を振り返すビエラに、シュライヤの表情はくしゃりと歪み、ついには俯いてしまう。何かを噛み締めるように、耐えるように、下唇を噛むシュライヤの心には、どんな感情が溢れているのか。それはきっと本人にしか分からないだろう。しかし、その感情を推測する事は出来るものだ。何となく、シュライヤが今感じている気持ちを悟り、は表情を綻ばせた。



















無事に小船は麦藁海賊団の非難する島へと到着し、小船と海賊船をロープで結んだならば、一先ずやシュライヤ、アデルとビエラは麦藁海賊船内へと移動する。すっかり装いが変化したアデルは、何処の島にでも居る可愛らしい少女だった。しかし、口を開けば以前同様少年の様な話し方なので勿体無い所である。洋服はナミが幼少期に着用していたものらしく、アデルにプレゼントしたそうだ。ビエラがガスパーデの船から出る際に持ち出してきたエターナルポースはナミの手へと渡り、麦藁海賊船はゴールの島へと向かって着々と海を進んでいた。そんな、航路の途中の船内での事。


「なぁ、空気重たくない?」

「そりゃしょうがないでしょう。いきなり兄妹ですって言われてもねぇ」


ウソップとナミが小声で交わす会話を聞きながら、はシュライヤの隣に立ち、背に壁を凭れさせながら硬く口を一文字に噤んで船室の隅に佇んでいた。船室には麦藁海賊団船員だけではなく、やシュライヤ、アデルとビエラの全員が集まっており、そのシュライヤとアデルの間には何とも言えない気まずい微妙な空気が流れていた。其れを察知したように他の船員達は妙に気を遣っており、其れが更に此の場の空気を悪くさせているのである。しかし、一人其の空気を感じ取っていないルフィに関しては、滝の様に止め処なく涙を流していた。


「帽子いいいいいいいい」

「元気出せよ。あれ程探してなかったんだ、気持ちは分かるが…」

「帽子いいいいいいいい」


ルフィのトレードマークとも言える麦藁帽子。彼の頭に何時もある其れは、今は無く、何処にも見当たらない。ガスパーデとの激闘の際、引き裂かれた麦藁帽子は風に飛び、ルフィの手を離れて何処かへと姿を消してしまったのだ。一度小船に乗っていた達を船に拾ってから、ガスパーデの船が停泊していた箇所まで戻ったのだが、行方不明の麦藁帽子は見つかる事も無く、こうして麦藁帽子を諦め、船は進んでいるのだがルフィだけはどうも諦めきれないらしい。あれだけの大きなサイクロンに飲まれたのだ、麦藁帽子の様な軽い物など、其処に残っている訳も無く、遥か遠くに吹き飛ばされてしまったに違いない。其れが皆が導き出した麦藁帽子の行方の推測である。実際は勿論違うのだが。


「おい」

「………。」


小声で横から掛けられた声に視線だけを向ければ、横目にを見るシュライヤの姿がある。シュライヤの腹部は普段よりも少しばかり膨らんでおり、その中にはルフィが今現在涙を流しながら求めている麦藁帽子が入っている。麦藁帽子を皆で探索している際にも口を挟もうとしなかったにシュライヤは不信感を抱くのだ。


「渡さねぇのか?」

「………。」


麦藁帽子を拾い、持っていてくれと言うものだから、ルフィの為にわざわざ拾ってきたのだと思えば本人に渡そうとしないからだ。小声で交わされる言葉は他の船員達には届く事は無い。相変わらずルフィは涙を流し続け、このまま放っておけば全身の水分を吐き出し干からびてしまうのではないかと錯覚させる。見かねたシュライヤが肘での脇を小突けば、は小さく息を吐いて呆れた様な、困った様に眉を下げて頷いた。


「ほらよ」


シュライヤが上着のチャックを下ろし、其処から取り出した麦藁帽子を綺麗な弧を描いて投げれば、その麦藁帽子は
軽い音を立ててルフィの目の前へと落ちる。目の前の黄色に
、途端目を大きく見開いたのなら、驚きの余りか先程まで滝の様に流れていた涙はピタリと一瞬にして止まった。大きな穴と亀裂を残す無残な姿の麦藁帽子だが、まるで其れが本物かどうかを確かめる様に麦藁帽子を引っ掴み、凝視したのなら、次の瞬間にはルフィは大声を上げて歓喜するのだ。


「ああああ!!!!!帽子いいいいいいいい!!!」

「おい、あんた!」

「大事なモンだって言ってたからな、拾っといた」


上着のチャックを閉めながら、シュライヤが言えば、ルフィだけでなく皆の視線がシュライヤへと向けられる。其の中、呆然と目を丸くさせてシュライヤを見上げるアデルの姿が兎に角印象的だった。


「…つっても、拾ったのは俺じゃねぇけどな」


皆が表情を穏やかなものに変わる中、そんな視線から逃れる様に、ちらりとを見て言うシュライヤには息を詰まらせ視線だけを上げる。此方を見てにやりと口角を吊り上げて笑う意地悪い顔のシュライヤには眉間に皺を寄せるのだ。


「……言わなくても良い事…」

「本当の事だろ」

「………、」


ふいっと顔を逸らし、唇を尖らせる其の姿はさながら不貞腐れた幼い子供だ。そんなを真っ直ぐ、潤んだ瞳で見つめるルフィは、震えた声で礼を述べる。その礼に答える事無くそっぽ向いたままのだが、ルフィにとっては其の様な事はどうだって良かった。此処に大切な宝の麦藁帽子が、在る。ルフィはしっかりと宝を掴んで、二度と離さぬと言わんばかりに握って、また言葉を繋ぐのである。


「ありがとう!お前良い奴だなあ!」


其の言葉がやけにむず痒くて、は珍しく視線を泳がせる。頬が少し熱を帯び出したようにも感じるが、其れはきっと気の所為だと言い聞かせながら。










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