以前とは打って変わり、食事に手を付ける様になっただったが、其の食事量は相変わらず少ない。食欲が無い訳ではなかった。かと言えど食欲が有る訳でも無い。気が進まない食事程、億劫なものは無く、は一口二口と口の中へ食べ物を入れると直ぐに吐き気を催し口を抑え、時には強引に飲み干し、時には吐き出していた。


「………っ」


食事に毒は入っていない様だったが、其れでも食事を与えられているという立場を思うと吐き気がどうしても抑えきる事が出来なかった。胃液と共に僅かな食べ物が糸を引いて床に飛び散る。


「………くそ…、」


しかしは食事を止める事はしなかった。手の甲で口元に付いたツンとした酸の臭いがする液体を拭い、スプーンを持つ。別にベポの言葉を聞き入れた訳では無い、ただ此処から一刻も早く逃げ出す為に少しでも元の体力や体調を取り戻す事が最優先事項だと考えたからだ。


「(もうむり)」


半分と食した所ではスプーンを盆の上へと置いた。幸い、食事に毒が仕込まれていたとしても少々のものなら問題ない自信がある。あの地獄の様な日々の中、食べてきた物の方がもっと猛毒だったからだ。カビの生えたパン、泥で濁った雨水。あの日の経験が今の頑丈な胃を作り、少々の事では倒れない身体に築き上げたのである。


「(少し寝て、起きたら身体を動かそう…)」


ベッドの上に横になり、は身体を隅へと寄せて瞼を閉ざした。いつ誰が現れても、何か仕掛けられても対応出来る様に集中力だけは研ぎ澄ませて。


「(くさい…)」


己の身体から臭う異臭に思わず気分が堕落する。此の船に監禁される様になってからどれ程の時間が流れただろうか、時計も無く太陽の光すら稀にしか見ることが出来ない日々に体内時計は狂いに狂い、最早今の日付も、時刻すら分からない。ただはっきりと分かっているのは毎日三食運ばれてくる事から、着実に時が過ぎているという事である。


「(さっき一瞬船が海面に出てた。暗かったから…夜かな)」


そんな曖昧にして微妙な時刻と流れた月日を思い、ゆっくりと迫って来た睡魔に抵抗すること無くは受け入れる。しかし意外にも早くの意識は直ぐに取り戻される事となった。


「半分か」


軋んだ音を鳴らし、部屋の扉が開かれる。すっかり染みとなって残った血痕の上を歩き、吐き出されたばかりの汚物を視界の中に入れながら、半分だけ食された盆の上の食事を見て男は呟いた。言わずもがな、あの目つきの悪い刀を持った男である。


「最初に比べれば上出来だが、全て食べ切らねぇことには意味がねぇ」

「…そんなこと言いに来たわけ?」

「喋る元気はついたらしいな」


男は後ろ手に乱暴に扉を閉めると、ヒールを鳴らし大股でベッドに横になったままのへと歩み寄れば立ち止まり、感情の無い表情でを見下ろした。すっかり男の気迫にも慣れ出したは、そんな男の瞳を臆する事無く見返すと未だ拘束されたままの枷の付いた手を少しばかり動かす。静かな部屋に鎖の音が響いた。


「色々と考える時間があったよ」

「そいつは結構なことだな」

「時間が持て余す程にあるからね」


自虐的には笑みを零すと、手を付いて上半身を起こし、壁に背を預け背の高い男を見上げる。


「あたしの事、知ってて監禁してるんでしょ。手配書でも見た?」

「ああ」

「だから海楼石の枷?」

「悪魔の実の能力者にただの枷は意味がねぇからな」

「よくこんなもの持ってたね」

「少し前に相手にした軍艦から拾っておいたもんだ」


ぴくりとが男の口から零れた言葉に反応をみせる。じゃらり、鎖がまた音を立てては目をすっと細めると忌々しげに男を睨み付けた。


「…海賊か」

「ああ、そうだ」


凄むに対し、男は挑発的なニヒルな笑みを浮かべる。


「海賊がそんなに憎いか?」

「そうだね。殺してやりたいくらいには」


殺意を剥き出しに、枷さえなければ今にも襲い掛からんばかりの態度のを見下す様な視線で男は見下ろす。


「やめとけ。海楼石の枷が無くても今のお前じゃ俺には勝てねぇよ」

「やってみないと分かんないじゃない」


身体、末端まで緊張感を走らせ、いつでも動けるよう意識を集中させる。海楼石の所為で酷く身体は怠く重いが、隙をついて男を振り払い部屋から脱出 、なんて計画は失敗に終わるだろうが、する以外の選択肢は今のには無かった。


「意外と頭の悪い女だな」

「海賊なんかに言われたくないね」


刹那、は渾身の力を込めて一気に腰を上げ、鍵の開いた此の部屋の唯一の扉に向かって飛び出すのだが、其れはいとも簡単に足を男の足で引っ掛けられ未遂に終わる。受け身すらままならず、落ちる様に床にの身体が叩き付けられれば、其の反動で床に置かれていた食事が盆の上でひっくり返り、中身を撒き散らすのだ。


「ガキの遊びに付き合ってる暇はねぇ」


まるで興味を無くしたかの様に冷たく言い放てば、男は床に無様に倒れたに目もくれず扉の方へと歩き出す。


「海賊が…!」


扉に手を掛けた男の背を憎悪が渦巻いた瞳で強く睨みながら、普段の何倍も低い声では最も此の世界で嫌いな存在を指す言葉を吐く。扉が開かれ、廊下を照らすライトの光が部屋の中に真っ直ぐな光を差した。


「分かってねぇなら良く聞け」


悔し気に、薄汚れた瘡蓋が幾つも有る手を強く握り、床の上でもがくを冷たく見下ろして男は部屋の外へと出た。廊下に設置されたライトの逆光の浴び、男はを尻目に後ろ手にドアノブを握る。


「悲劇のヒロインぶったって誰も同情しちゃくれねぇよ。…特にこの海ではな」


そして静かに扉は閉じられ、施錠の音が響き、部屋は再び闇に包まれた。光の無い部屋の、冷たい床の上に倒れた少女は強く拳を握り込み身体を小さく震わせる。其の身体に確かに憎悪と殺意を膨らませ蓄えながら。夜は静かに流れていく。部屋には男以降訪問者は居なかった。



















「ひさしぶり」


翌日の夜。夕食を運びに来た船員は、ベッドの上で膝を立て、扉を睨むを見て小さくそう言って部屋に入ってきた。久しく見なかった姿だが、其の調子は相変わらずの様でゆさゆさと毛を揺らしながら船員、ベポは床に夕食を置く。


「ちゃんと食べてるみたいで安心したよ」

「………。」

「あの時は酷いこと言ってごめん」


置いた食事の前に腰を下ろし、同様に体育座りをしたベポは床を見ながら謝罪の言葉を口にした。そんなベポをベッドの上から見下ろすは、此れと言った言葉を零すことは無く、ベポを鋭い視線で睨んでいる。


「捕まってて、出されるご飯なんか食べたくないよね。ごめんね。後で考えてみたんだ、君の気持ち」


肩を落とし、ベポは変わらずに己の気持を言葉に乗せて紡ぐ。は其れに相槌を打つことも、身動き一つ取ることもしなかったが、ベポは構わず続けた。


「おれ達、君に酷いことはしないよ。信じられないかもしれないけど、本当。キャプテンも、そう言ってた」

「………。」

「手配書、見たんだ。ずっと前に出てた手配書。君が載ってた。凄い賞金額で驚いたよ!おれなんて500ベリーだから…」


自分に掛けられた賞金額を気にしているのか、しょぼんとより一層背負う影を暗くさせてベポは更に俯く。しかし安いとは言えど懸賞金を掛けられているだけでも十分凄い事なのだ。此の海には数多の海賊が旗を掲げており、其の半数以上は懸賞金すら掛けられる事無く海を漂っているのだから。


「ALIVEのみの手配書に、掛けられた賞金。キャプテンは裏があるって言ってた、何か秘密があるはずだって」


顔を上げ、膝の上に両手を置き、ベポが真っ直ぐを見つめる。は変わらぬ姿勢のまま、ベポの漆黒の瞳を射抜く様に見つめ返せば、閉ざしていた唇を薄っすらと開くのである。


「だから捕らえた?」

「…キャプテンは暫く様子を見る、って」


様子を見る、其れは幾らでも選択肢を想像させる言葉である。生きて逃がす事も、後に殺す事も、今は未だ答えを先送りにしている状態で、今がとてもあやふやで曖昧な状況である事を示していた。


「キャプテンは確かに顔がちょっと怖いけど、酷い人じゃないよ。だから大丈夫!」

「海賊は海賊。どいつもこいつも同じじゃない」

「違うよ!」

「何が違うのよ」


まるで笑い飛ばす様に鼻を鳴らしたにベポは表情を歪ませる。海賊が、海賊の癖に、そんな言葉は此の船に乗ってから数々の人々から言われ続けて来た言葉だった。今更慣れた言葉達に傷付くことなど無い。それなのに、ベポは胸がチクリと痛むのを感じた。


「長い間、一人で海を進んできた。色んなものを見てきたよ。島の人達を襲う卑劣な海賊、民衆を守る為の海軍が人身売買を黙認している姿。沢山、見てきた。この目で」


泣き叫び、命だけはと救いを求める人達を嘲笑いながら刃物を振りかざした海賊達。そんな光景は珍しくなかった、何処の島でも見られる光景だった。稀に海賊を支持する民衆も居たが、大多数は海賊を恐れ苦しめられる人々ばかりで島を転々とする度に海賊など存在すべきでないと深く痛感させられる。海軍に関しては今も尚、は追い掛けられていた。保護する為ではない、天竜人という卑劣な人間の欲求の元、奴隷という玩具にされる為、天竜人の欲求を満たす為、海を駆けずり回り、多額の懸賞金を掛けての身柄の確保を海軍は急いでいる。


「海賊は所詮海賊じゃない。海軍だって海賊とやってる事は違っても質の悪さは同じ。何が正義よ、何が悪よ。どっちもただの悪じゃない!」


様々な感情が込み上げ、内に秘めた感情を曝け出す様に声を荒げた。我慢がならなかった、日に日に増すどす黒い感情は収集がつかず、頭が可笑しくなってしまいそうだった。


「海賊も、海軍も、あたしは許さない」


思わず笑みが浮かんだ。口角が吊り上がり、ネジがぶっ飛んだ様な不気味な光を宿す瞳にベポを写す。


「アンタも海賊だって言うなら、許さない。アンタ達がそういうつもりで、あたしを見ているなら」


じゃらり、鎖を鳴らしてはベポに向かって手を伸ばした。伸びた爪は永く、其の切っ先は鋭く鋭利だ。其の爪は真っ直ぐベポの喉仏に向けられる。


「殺してやる」


恐怖に怯えて逃げ回るのは苦しい。人を殺すのは罪悪感に押し潰されそうで気狂いしそうだった。鮮明に思い出せる、此の手で奪った人達の命を、その最期を。


「あたしが殺してやる。今更一人、二人、殺したところで何も変わらないからね」


殺した人数が増えた所で何も変わらない、なんて嘘だ。一人でも少ない方が良いに決まっている。一人一人、手を掛けた時の事をはっきりと覚えているのだ。どんな言葉を最期に言い、どんな風な顔をして、どんな風に絶命したか。一人一人覚えている人物も少ないことだろう。しかし、忘れられる程の心は図太くなかったのだ。


「恐怖に震えて逃げ回りたくなかった。他人に命を左右されたくなかった。だからあたしは強さを欲したし、其れなりの力はつけた。海賊なんていらない。海軍だっていらない。此の二つの組織は世界から消えるべきよ」


狂気染みた顔をしている自覚はある。実際、の放つ雰囲気と威圧感や迫力にベポは生唾を飲み込み、其の場から身動き一つ取らない。喉仏を掠めた爪にベポは喉を引き攣らせるとは伸ばしていた腕をだらりと下ろす。


「分かったでしょ。あたし達は全然違う」

「………、」

「共感とか同情とか、そういうのいらないから。干渉もしてこないで、煩わしいだけ」


下ろした腕を摩れば、ざらりとした皮のただれた感触と、汗と血が乾いて張り付いた何とも気持ち悪い感覚を覚える。枷が付けられた手首や足首は、擦れる度に皮膚を傷付け血を滲ませておひ、瘡蓋が出来たばかりだというのに、其の上から新しい生傷が付いて、じんわりと血が染み出す。


「この枷さえ無くなれば、いつだってあたしはアンタ達を殺せる」


枷を撫でつけ、体制を変えようと足を動かせば、両足に取り付けられた枷を繋ぐ鎖が床の上で音を立てながら転がる。


「忘れるな。あたし達は敵対同士。殺すか、殺されるか。命の駆け引きをする対立関係にある事を」


まるで獲物に狙いを定めた肉食獣の様な鋭い眼光でベポを見据えるに、ベポはすっかり気後れしていた。当初の元気は何処へやら、今ではその影も形もない。まるで蛇に睨まれた蛙の様で、ベポは口を開く事もなく、時は刻々と過ぎていった。










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