ベポの危機を見ていた船員の誰もが絶望に打ち拉がれそうになった時、其の声は実に良く皆の耳に届いた。


「何やってんだ」


刃はベポを貫く事も、引き裂く事も無かった。代わりに海賊達の悲鳴が聞こえ、剣が甲板に落ちる金属音が響く。恐る恐る、ベポが後ろを振り向けば、からも其の向こうが見える。鞘から刀身を抜いた相変わらず隈の酷い男がベポを見下ろしていたのだ。


「キャプテン!」


現れた男の姿に目を輝かせ、ベポは安心し切った表情で男を見上げる。男はベポから尻餅をついたまま身動き一つ取らず呆然とするへと視線を移すと、何か思ったのか暫く黙り込めば、近くで丁度敵を一人倒したペンギンへと声を掛けるのだ。


「枷の鍵を取って来い」

「えっ!?船長、冗談ですよね!?」

「良いから早く取って来い」

「は、はい!!」


男に指示され、ペンギンは慌ただしく戦う仲間や敵の間を駆け抜けば、船室へと続く扉を通りに中へと消えて行く。呆然と其の様子を見ていたベポとに、男は再び視線を向けると、今度はベポへと指示を飛ばすのだ。


「ペンギンが鍵を持って来るまで守れ」

「!アイアイ、キャプテン!」


元気良く返事をしたベポに背を向ければ、ローは襲い掛かって来る海賊達を一振りで薙ぎ払い、再び戦場の中央へと向かって行く。敵船の甲板が酷く荒れおり、甲板に姿が見えなかった事から考えて相手の敵陣に乗り込んでいたのだろう。は強く握り拳を作れば、遠ざかる背中に困惑しながらも冷静さを何とか取り繕い問い掛ける。


「枷を外すなんて…正気?」

「このまま其処で海賊共に殺されてぇのか?」


くだらない、そうとでも言う様に鼻で笑うと、今度こそ男は再び戦いに身を投じる。直様人混みの中に紛れてしまう姿だが、男が刀を一振りすれば、直様其の周辺にいた海賊達は一斉に宙へと飛ばされ倒れる。一気に敵数が減った甲板だが敵数は相変わらず多い。


「クソッ!てめぇら覚悟しろよ!!」

「八つ裂きにしてやる…!!」


甲板の隅で拘束されたと、傷を負ったベポを見付け、辺りに倒れる仲間の姿を目にした海賊達がおどろおどしい目付きで武器を構える。すかさず敵を視界に入れ、ベポは立ち上がるとカンフーの構えを取っての前に背を向けて海賊達に立ちはだかった。


「俺が相手だ!」


背中を深く抉った切り傷からは血が流れ、つなぎは赤黒く滲み、艶やかな白い毛は今はすっかり汚れてしまっている。襲い来る海賊達を気合いの声を上げながら身軽な動きで次々と倒して行くベポだが、時折其の動きが鈍いのは矢張り負った傷が痛むのだろう。ベポに守られ、甲板に座り込んだままは眺めた。傷を一つ、また一つ増やすも、ベポは決して其の場から離れない。逃げる素振りすら、見せない。背中をへと向けたまま、ベポは襲い来る海賊達を、たった一人で迎え討つ。何故其れ程までに傷だらけになってまでベポは守ろうとするのか、には理解が出来なかった。


「っ、…アイアイアイアイ、アイッ!」

「ぐほォオ…!!」

「なに手こずってんだよ!相手はもうフラフラの熊だぞ!?」

「こいつ全然倒れねぇ…!」


を見捨て、もっと自由に動き回って戦えば、無駄な傷も負う事は無かっただろう。から離れない様、意識するが故に生まれる隙を決して敵は見逃さない。何とか致命傷は避けてはいるものの、傷は確実刻まれており、疲労する一方だ。それは一種の執念、ベポの覚悟が其処にはあった。


「おい!足出せ足!」

「!」


ベポが海賊達と対峙する中、息を切らし戻って来たペンギンが鍵を片手にへと駆け寄る。言われるがままに足首に付けられた枷をペンギンへと向ければ、鍵穴に向かってペンギンは鍵を差し込もうとするのだが、其の手付きは慌てている所為か要領が悪く、小さな穴に鍵は中々差し込まれない。


「お前、分かってると思うけど」

「…?」


鍵穴に漸く鍵が差し込まれ、足枷が音を立てて外れる。露わになった足首は赤黒く変色しており、今迄の抵抗や、長期に渡って拘束されていた証が、くっきりと痣となって残されていた。


「ベポがあんなになって、お前を守ろうとしてるんだ。ベポに怪我でもさせてみろよ、絶対許さねぇからな!」

「………、」

「元々、俺はお前を解放するのなんか反対なんだ。船長命令だからするけど」


続いて手を拘束する枷の取り外しに掛かり、輪の中に幾つも吊るされた鍵の中からペンギンは長細い鍵と取ると枷の鍵穴に向かって鍵を差し込む。漸く外される枷には静かに息を呑み、しかし後は捻るだけで錠は外れると言うのにペンギンはなかなか解錠しようもしない。急かすようにがペンギンに視線を向ければ、は思わず目を丸くするのだ。ペンギンは、弱々しく、悔し気に唇を噛んでいた。


「…もっと俺に力があれば…!」


どうしても、こういった場面に出くわすと己の無力さを悔いてしまう。もっと自分に力があれば、仲間達を守れたなら。誰も傷付かずにいられるのに。こうしてを解放する必要も無くなっていたかもしれないのだ。


「一つ、頼みがある」

「………。」


強引に、強制的に捕らえていた人物を解放する事が、どういう事なのかペンギンは良く理解していた。食事等の面倒は見ていたものの、其の敵意や憎悪は計り知れないだろう。復讐を考えても可笑しくは無く、殺意をが自分達に向ける可能性はゼロだと断言する事は不可能だ。これ程仲間達が疲労し切った状況下で自由の身にしてしまうとは、あまりにもペンギン達にとってはリスクが高いものだった。


「…頼むから、俺の仲間達は傷付けないでくれ…」


だからこそ躊躇う指先。船長の命令に背き、ベポの覚悟も無駄にしてしまえば、この少女は拘束されたままで自分達に被害を与える事は無いのだ。しかし、そうする事が出来ないのは船長やベポを裏切る事が出来ないから。彼等の意思が、決意が間違いでは無い事を信じたかったからだ。少女を助ける事に、見殺しにしなかった事が正しかったのだと、感じたかった。


「頼む…」


震える指先で錠が外され、甲板に音を立てて落ちる枷。軽くなった手首は足同様痛々しい痣があり、は手を握り、手を広げ、そんな己の感覚を試すように指を動かした。まるで背負っていた鉛が取れたかの様に身体が軽い。食事も最近はちゃんと取っていたからだろう、身体の調子も特別悪いといった様子は無かった。


「ベポ!!!」

「うおおおおおおおおおお!!!」


誰かの悲痛な叫びが響き、野太い海賊の咆哮が続いて鼓膜を揺らす。振り返れば片膝を着くベポに剣を振り下ろした海賊の姿が有り、の前で両膝をついていたペンギンが慌てて駆け寄ろうと腰を浮かす。が、疲労もあってか、その動きは一足遅い。


「ベポ逃げろーーー!!!」


前のめりになり、転びそうになりながらペンギンは、立ち上がれそうになく苦痛に表情を歪ませたベポの名を叫びながら手を伸ばした。其の手はベポには届かず遠く、剣は今にもベポの胸を貫こうとしている。事態に気付いた船員達が挙って振り返り叫ぶ。逃げろ、逃げろ、ベポ、ダメだ、動け、動け、走れ、ベポ、逃げろ。声にならない悲鳴と、言葉にならない絶叫が上がる。ベポは最期を悟り、静かに目を閉じた。誰かが泣き叫ぶ。仲間の死を察知して。誰かが懇願した。ベポを、誰か、助けてくれ、と。









刹那、ベポを見つめる人々の視界に眩い光が走った。




其れは、とても眩い綺麗な青色の稲妻だった。









「なっ…!!」


ベポの胸を貫こうとしていた刃は甲高い音を立てて圧し折られ、海賊の男は驚愕と困惑に声を漏らす。一瞬にしてベポの前に現れた小さな姿を目視したと同時に男の身体は空高く宙へと飛ばされる。強烈な回し蹴りに依るものだった。


「あ…れ…?」


一向に来ない痛みと、金属が折られる音に、男の漏らした間抜けの声。薄っすらと瞳を開いたベポが目にしたのは己の前に立つ黒髪を靡かせたの姿。そして一気には駆け出す。


「怯むんじゃねえ!只のガキだ!やっちまえ!!」


海賊達は一斉に向かって襲いかかる。其れを視界の中で確認しながらは今一度、強く甲板を蹴った。


「ぐあっ!」

「うあああ!」


一番中央に居た男の顎を蹴り上げ、其の隣に居た男の懐に回り込み、脇腹を肘鉄。其の隙に男が腰にぶら下げたショットガンを素早く引き抜き奪えば、甲板を転がり身を起こすと迷わず引き金を引いた。


「すげぇ…」


ペンギンは思わず素直な感想を零した。撃ち出された弾丸は全て正確に海賊達を貫き、次々と倒して行く。其の一連の技は、銃器を扱わない者から見てもとても優れているのは一目瞭然だ。見事としか言い様の無い腕、流れる動作に無駄は無く、はショットガンを撃つ手を休めず海賊達に向かって駆け出す。


「あああぁあぁああぁあぁあ!!」


向かってくるに恐怖を滲ませながら男が剣を隙だらけの構えで振り下ろせば、其れを弾切れのショットガンの銃身で受け止め、其の隙に男の腰に装備された二丁のオートマチックの銃をくすねる。剣の突き刺さったショットガンを手放せば、くすねたばかりの銃を両手に構え、至近距離で男の腹部を撃ち抜く。


「あぁあ…!!」

「てめぇーー!!!」


腹部から出血し、腹を抱えて倒れる仲間を見て海賊達の額に青筋が浮かぶ。は大きく後方に飛び退くと、甲板の縁へと飛び上がり高く空へと飛躍すれば、真上から標的である海賊達に照準を合わせ、素早く引き金を引くのだ。










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